2018.08.14-08.19 小笠原の旅

8月 27th, 2018 No Comments »

竹芝客船ターミナルから996km南に下った先は、やっぱり東京都。
夏休みを利用して父島へ行って来ました。

父島に行こうと思った理由は、30年前に家族で行った思い出が忘れられなかったから。
あまりにも衝撃的な体験だったのです。28時間半(当時就航していた初代おがさわら丸の所要時間)という、それまでに経験したことがないほど長い船旅。東京湾の海って灰色だったんだなとわかってしまった、ボニンブルーと名付けられた青い海。着いた先の「ここは本当に日本なのか」という景色。強いというより痛い日差し。南斗六星を初めて見た夜。幽霊船のようで本当に怖かった境浦海岸の座礁船。

30年前の1988年は昭和最後の夏で小笠原諸島返還20周年。
今年2018年は平成最後の夏で返還50周年。この区切りのタイミングで、家族のうち船酔いしなかった自分と母2人の「いつかまた訪れよう」という約束を、今年こそは果たさねばならないとの想いもありました。

▼おがさわら丸(3代目)
https://www.ogasawarakaiun.co.jp/ship/


乗船してすぐの4デッキ。
船体は8層構造となり、総トン数にして初代比3倍。本当に大きくなりました。今回の父島行き乗船人数は691人でしたが、狭さは感じさせませんでしたね。







船内にはあちこちに掲示物やサイネージがあり、楽しませてくれます。
船の現在位置はこのほか4デッキ中央の航路図に埋め込まれたLEDで確認出来たり、特2等以上であればベッドにTVがあるのでそちらでも確認可能。途方もなく遠いように思えて、寝てる内に300kmくらいは進んでいるので案外そうでもありません。
写真に写っている “手摺にぶら下がっている袋” は、船内至るところで見受けられます。どこで船酔いしてもいいようになってるんだろう…多分。







7デッキ後方の展望ラウンジHaha-jima。
大きな窓で外を見ることが出来るほか、軽食提供営業時間外もフリーで開放されているので談話室として利用可能。船旅の大半は携帯の電波も入らないため、その間にここでノートPCを開き写真を現像している方がチラホラ見受けられました。デジタル撮影時代ならでは感がある。



4デッキ前方のレストランChichi-jima。広い。
展望ラウンジ同様、営業時間外もフリーで開放されているので談話室として利用可能です。そういえば展望ラウンジ・レストラン・売店ではSuica等の交通系電子マネーが使用可能になっています。大きく揺れることもある船内で小銭あれこれしなくて良いのは楽ですね。対応していない自販機以外で小銭出さなかったと思う。







廊下から船室へ。今回、船室は特2等(下から3番目の等級)を利用しました。
最下級の2等和室はいわゆるござ寝。そのひとつ上の2等は各人が使えるコンセントがある対面2段ベッドですが、ベッド備え付けカーテン以外でプライバシーを確保する仕切りがありません。
特2等になると廊下とベッドの間にカーテンが追加されるので、これのおかげで偶数人利用時のプライバシー確保が大幅に改善されます。旅行鞄の荷物整理をする時に、他の利用者を気にすることが殆どなくなって良いです。折角の片道丸1日の船旅なので、そのくらいは快適でありたいもの。
1人だけのプライバシーが確保される特2等もあるんですが数は少ないので、計画的に偶数人でこれを使うが一番無難と思われます。





悪天候でなければ、日の出30分前~22時まで6デッキ~8デッキの外部甲板が開放されています。そんなに長い時間開放してくれるのかというのに驚いた(初代の時どうだったっけな…)。うっかりしていてこの時点で、水による反射で思いの外日焼け開始。

おがさわら丸は島民のライフラインを支える貴重な存在でもあり、客と一緒に多くのコンテナも積まれます。だから本土で生産される食料品も新聞も船が入って来ることでスーパーに入荷されるし、台風とかで欠航になるとその間入荷も止まるので買い溜めが発生する(貨物専用の不定期船は一応あるけど)。
小笠原で「今父島にいまーす」とか手紙書いて郵便局に出しても自分と一緒に手紙が本土に渡ることになるのがオチですが、今は携帯の電波が島全域ではないにせよ飛んでいるので、多少はマシですかね。



おがさわら丸から見る日の入り。どこまで見渡しても水平線が広がるばかりで遮るものは何もない、船旅の醍醐味。
行きは天候に恵まれました。折しもペルセウス座流星群のピーク日&新月の直後で、日の入り後20時過ぎに再度屋上デッキに上がったところ流星を肉眼でいくつも見ることが出来ましたし、流星とは全く違う動きと光り方をする人工衛星が空を横切っていくのも肉眼で見ることが出来ました。天の川も船上から見えています。
船内施設以外にも自然が見せてくれるものがあるから、それほど退屈な船旅ではないのです。



見えてきた父島列島。そして何とも言えない良さのある雲の形。
地図でそこに島があるとはわかっていても、長い航海を続けた先にこれだけ大きい島が見えて来ることに感動を覚えます。体験は実際に行ってなんぼ。しかし昔の人はよくこんな絶海に孤島を見つけ、基点としたものだなあ…。


▼二見港
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/07ogasawara/island_resident/harbor.html#harbor1




おがさわら丸および、おがさわら丸とダイヤを合わせて運航される母島行き「ははじま丸」が接岸する二見港。これ以上大きい豪華客船(不定期運航)などは接岸出来ず、係船浮標を利用します。
防波堤には子どもたちが沢山いて、毎日次から次に海へ飛び込んでいます。絶好の遊び場なんだね。ただ、ここからちょっとでも沖に行こうものならサメがいるんだとか。
1枚目のすぐ後ろは大村海岸。この海岸、あんまり海水浴客は多くありません。ここまで来て潜る言うたらスキューバだし、そういう人たちは着いたらすぐに準備に取り掛かってるし、地元の子的には飛び込んでる方が楽しそう。今回は一切泳いでないけど、30年前来た時は存分に泳いだことを覚えています。

二見港に着いて真っ先にすることは、宿泊先のスタッフと合流すること。
おがさわら丸が父島にやって来る際には、港には宿名の札を持った人が多く待っています。で、荷物を預けるなり「このままツアーに出るので」と伝えるなりをする。諸島のほぼ全域が国立公園ということもあり、今日はどこに行くのかを伝えることが大切です。
30年前だと初代おがさわら丸が現地船内泊を行っていました。今のようになったのは多分2代目になってからだと思われます。当時は民宿もそんなに多くなく宿のスタッフが札持って立ってること自体がありませんでした。現在は基本的に往復と宿がセットで、宿の数もそこそこには増えたのでこうなっているようです。まあ、その方が現地にお金落ちるからなあ。



繁忙期のおがさわら丸は11時に父島へ着いた後、その日の15時半には東京へ折り返し出港します。今はもう現地船内泊をしないから、そういう運用が出来るわけですね。繁忙期以外は東京へすぐに戻らず3泊父島に停泊。そのため、おがさわら丸を見送ることが出来るのは繁忙期または2週間以上滞在するかです。今回初めて見送る側となりました。



二見港すぐ近くにある、ガジュマルに囲まれたハートロックカフェ。

ガジュマルは小笠原にとっては侵略的外来種となっています。明治期に導入後小屋や作業場・防風用として植栽され、戦中はトーチカや壕の偽装としても使われた「必要があって持ち込まれたもの」で、それでも従来は種がつかなかったので繁殖はしなかったそうなんですが、90年代に入ってからハチが侵入したことで至るところで生育するようになってしまったそう。これの何が問題かというと、ガジュマルは他の植物に巻きついては枯死させコンクリートをも突き破ってしまう「締め殺しの木」であるということ。
放置しておけない問題ではありながらメグロなど鳥たちの食物資源であることも事実で、一気に駆除すれば生態系がもっと狂ってしまう。このバランスを取ることが小笠原の環境保全の難しさであると、あとでビジターセンター行った時に聞きました。

外来種の侵入防止対策はおがさわら丸自体も行っています。客に靴の泥を落とさせることを徹底する他、おがさわら丸の夜間照明に寄って来る虫が外来種侵入の一因でもあるため照明対策したり、船体をこまめに検査したり。
人または人工物が往来する以上、リスクは常に付き纏うもの。それを人の手で防ぎ人の手で環境を復活させ、かつ観光として島を成り立たせるのは並大抵の努力ではないと考えさせられます。今でこそ小笠原は世界自然遺産ですが、何が評価されたってその生態系ですからね。保全は観光として訪れる側であっても守るべき当事者であり、知っておかねばいけないことがここには沢山あります。

▼境浦海岸








今回の宿泊先は境浦海岸近く。携帯の電波が入るほぼ南端でもあります。1枚目~2枚目が宿。

境浦海岸と言えば座礁船・濱江丸。元は民間の貨物船で、戦争の後期になって海軍が徴用。輸送船としてサイパンに行ったりしたものの父島への空襲の際に座礁・魚雷命中を食らって全損、以後そのままこの境浦海岸に残されています。一応、戦争遺跡としての観光スポットのひとつではありますね。
放置されているので年々朽ちています。30年前は船体の上半分がまだ水面に出ていて、夜に見たその姿が本当に怖かったのをとてもよく覚えています。今はもう随分と沈んでしまって、遠くない内に全てが沈みそう。とは言え、戦後70年以上経ってまだ船とわかるだけの形状を海上で留めているだけでも大したもんです。なお写真では泳いでいる子の姿が見受けられますが、思いっきり錆びているため「怪我して破傷風になっても知らんぞ」とは海上ツアーでお世話になった船長さんの談。

コンビニはなくても父島・母島などには診療所があります。島の診療で間に合わないレベルの緊急事態だと自衛隊の世話になるとのこと。トラブル対応の話を聞くたび「ここは本土から本当に遠い絶海の孤島なんだな」というのを強く思い知らされました。

▼夜の空




島でやりたいことのひとつに「星空を撮る」がありました。宿を港から離れたところにした理由でもあります。ということで着いた日の夜に三脚構えて撮ったのがこちら。
1枚目が宿から20m程度(道路渡っただけ)、2枚目が宿から200mくらい移動したところ。カメラはSony RX-100M3(この夏にM2から更新)で、f1.8・ISO2500の15秒です。それでここまでいけてしまう。なんていうかもう、星写り過ぎ。
一眼を所持したことがないので星空をカメラで撮影するのはほぼ初めてでしたが、その割にはまあまあだったのではないかな…環境が良すぎるせいか。

▼ドルフィンスイム&マッコウクジラウォッチング&南島
http://www.ogasawaramura.com/play/sea/makkou.html




キャンセル待ちが出ていたので参加してみた海上ツアー。当然事前に予約した方が良いです。人気だもの。
事業者やその日の都合で順番は変わるっぽいですが、この日はまず父島から南西に進み南島へ。南島は昔野ヤギが食い荒らしてしまったため緑が減ってしまい、かなり以前にヤギを駆除。15年近く前からは自然保護と回復のためここ特有の自主ルールが運用されるようになりました。これが非常に厳しい。

・何も持ち込んではならず、何も持ち帰ってはいけない。
・1年の内3ヶ月程度は上陸自体禁止。
・それ以外の時期も1日に上陸して良いのは100名まで。最大滞在時間は2時間まで。
・認証済腕章を着用した東京都自然ガイドの同行必須。
・ガイドの遵守状況が毎年審査され、毎年認証を更新しなければいけない。

など。繁忙期などで天候にも恵まれた場合、上陸可能人数が1日の上限に達してしまったためアウトということもありえるようです。大概の場合は事業者間でうまく調節をしているようですが。



奥に見えるのが南島・扇池。
上陸ポイントは2ヶ所。今回は残念ながらそのどちらからも上陸は出来ませんでした。小笠原近海に発生した台風19号の影響が既に出ていて波が高く、父島から南島に来るまでの狭い岩場を進むだけでも結構な荒波だったためです。父島からそんな離れていないのに3人ほど吐いてしまったくらいには揺れた。
この上陸出来る出来ないの判断はガイドや事業者によって異なります。同じ日に別業者の南島ツアーに参加して上陸出来た人が若干名いたことを確認していて、どうやら小さい船の方が上陸出来る可能性は高くなるみたいですね。ただ、船が小さいとその分更に揺れるので相応の覚悟が要るかも知れません。
上陸出来なかったとしても、この辺りは父島や兄島と異なるかなり独特な光景を目にすることが出来、海鳥が繁殖している姿も見られるので面白いし楽しいです。





父島・兄島周辺のイルカ出現スポット巡り。この日合計で40頭弱は見たんじゃないかな。
クジラの方は父島から1時間かけて20kmほど沖合に出て探すのですが、潜水が得意な種で1回呼吸したら1時間は呼吸しなくて良く、実際にその日海面に上がって来たところを見つけられるかどうかは行ってみないとわかりません。写真ではマッコウクジラが海面に出たところをギリギリで捉えています。冬から春はザトウクジラを見ることが出来るとのこと。
しかし本当に海がきれいで、海だけの写真とかすごい沢山撮ったりもしました。



父島と兄島の間で船を係留させての昼飯&シュノーケリングタイム。シュノーケリング3点セットは貸出が有り、申告すればライフジャケットも。実は潜らないという選択もあります。大体の人は潜りますけど、申し込んだ時に一応聞いてみたら「自由選択です」とのこと。

▼小笠原水産センター
http://www.ifarc.metro.tokyo.jp/25,107,40.html




二見港から歩いて5分ほどのところにある施設。
ここには小さな水族館があるほか、アカバ(島での呼び名。アカハタのこと)の歯磨きを自由に体験出来ます。備え付けの柄の長い歯ブラシで壁をトントンと叩くとやってきて、口を開くのでそっと歯ブラシを寄せる。どうやら歯磨き大好きみたいですね。子どもさんに体験させると大喜びしそう。

▼小笠原世界遺産センター
http://ogasawara-info.jp/sekaiisansenta/sekaiisansenta.html




昨年開館した真新しい施設。一般来場者向けの展示エリアの他、環境保全事業に関わることをここでやってたりしています。
展示エリアはそれほど大きくありませんが、小笠原の何が世界的に評価され生態系保全の取り組みがいかに大変で重要であるか、そして具体的にどう取り組んでいるかなどがわかりやすくまとめられています。大自然だと喜んでいる裏には、色々な課題や取り組みがあるのですね。また小笠原近海の情報として、火山噴火が記憶に新しい西之島の紹介もされています。模型があったりして大変わかりやすく、2013年以前の陸地は噴火で殆ど覆い尽くされて見えなくなってしまっているというのはここで初めて知りました。

二見港からメインストリート進んで村役場行く途中ということで遠くもないので、行ったら早々に見て欲しいくらいです。ここで知ったことが現地で参加したツアーの際に役立ったりしました。

▼小笠原ビジターセンター
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/07ogasawara/nature/visitercenter.html




小笠原の自然のほか、文化や歴史を知ることが出来る施設。本エントリの冒頭にある写真に写っているお魚さんのポスターは、ここの企画展告知でした。
結構情報量と見応えがあり、世界遺産センターと共に必ず見ておきたいところです。歩みということで歴代おがさわら丸の模型も展示されていたり、返還20周年当時の様子として1988年7月(まさに前回行った年月と同じ)の二見港の写真があったりして「そうそう、30年前こんなだった」と、記憶だけで母と話していたことが実際に正しかったかどうかの整合が図れました。
そういえばここだけに限りませんが「30年前に一度来た」と話すと、島に長くいらっしゃる方だと当時からの変化について結構話に乗っかってくれたりしましたね。各種センターでは掲示し切れない情報を教えてくれたり、大変勉強になりました。







歴史ということで戦争のことは避けられません。
ここでは父島での戦闘に関する米軍機・日本軍機の模型展示や、戦前に昭和天皇が小笠原に来ているということで山城の模型も。ここの模型で山城だけしょぼいので、もうちょっと立派なものの寄贈くらいあっても良さそうな気はするんだけど。
この辺、30年前だと興味が全然ない以前の問題でした。今ならまあそれなりには理解が出来ます。おお、二式水戦があるぞ。

▼丸丈
http://www.ogasawaramura.com/eat/marujou.html


小笠原の郷土料理が食べられるお店。30年前にも来ています。
台風やシロアリにやられたとかで30年前とは建物が結構変わっている小笠原の建物において、ここは驚くほど変わっていません。なので母と「絶対行く」と事前に決めていて、当時お店の前にウチが立って撮った写真を母は島まで持参してきた。店の主人がその写真と今のウチを見て「大きくなったねえ」って、それどういうリアクションすればいいの。身がとても厚い島寿司ほか、頂いたものめっちゃおいしかったです。

センターなどの施設で「30年前に来た」と話すと島そのものの話になるところを、それ以外のところで同じ話題を出すと住民目線としての変化を聞くことが出来ました。丸丈でもそういう話で盛り上がり、今回の小笠原旅行では地元の方たちと色々お話出来たことが、全体を通しての一番の収穫だったなという気がしますね。コミュニケーションに長けている超アクティブな母が同行していたおかげでもありますが。

▼大神山神社
http://tosho.tokyo-jinjacho.or.jp/ogasawara_chichijima.html




小笠原にも神社があります。
メインストリートからほど近いところに神社へと向かう階段があり、神社を経て更に山を上がって行くと展望台。港に近くて高いので、湾を一望することが出来ます。気象予報で「小笠原父島の様子です」と湾の景色が映されてたら多分ここからの映像。でかいカメラが設置してありました。
台風がだいぶ近くなって来ていて、天気がそんなによくなかったのが残念。

▼父島要塞戦跡ツアー
http://www.ogasawaramura.com/play/land/sensekitour.html


島でやりたいことのひとつとして事前に予約をしていました。小笠原諸島での戦闘というと硫黄島が有名ですが、父島でも地上戦こそ起きなかったものの激しい攻撃を受けています。
この首なし二宮金次郎像、元は小学校にあったものです。戦争で島民は本土へ疎開して小学校は閉鎖。空襲の銃撃で首がすっ飛んだというのは誤りで、戦後駐留米軍兵士が首を切り取って持ち帰ったそう。1997年の台風で台座から転落してしまい、補修されると共に同じ夜明山内での移設が行われました。

30年前もこの像は見ています。が、あまりにも怖くてなんかもうそれ以上何があるか見ようという気がしませんでした。座礁船でも怖がっていたけど、夜とか本当に真っ暗だし野生の動物が飛び出してくるかもとか考えた上に首がないとか幽霊船みたいだとか、そりゃ怖いですよ。後になって小笠原には本土ではありえないほど貴重なものが多く残っていると知って後悔し、それが母との約束であった小笠原来訪を推し進める個人的な理由でもありました。母は戦争の跡を見ることは嫌がるので、ここは1人で参加しています。





今も残るレール資材。戦後占領下であった際、帰島を許されていた欧米系住民が島で生きていくため、残骸を屑鉄として回収して生計を立てたりしていたのだそうです。それでも持ち出されていないものがこうして残っています。
今回の戦跡ツアーは、現地ガイドさんの中でもかなりベテランの方にお願いしました。今も終わっていない硫黄島の遺骨収集に参加したこともあるとのことで、島生まれではないものの小笠原在住歴はかなり長め。こちらが事前に勉強しているとわかると、色々とお話してくれました。





ダイナマイトで掘り構築されていった地下壕の数々。
なかには土砂で埋まってしまっていたものもあって、入口が見えるように掘り返したところもあります。ここにはその写真を載せていないけど、通信を傍受する地下壕などは重要な施設ということで扉が四重になっており、その跡もしっかりと残っているのを確認出来ました。
2枚目の写真はセメントの土嚢が片方にしか積まれていません。片方だけになっている理由は、その方向に特に守るべきもの(部隊長室)があったからだそう。











砲台跡として丸い設置箇所だけ残されているのは多く見てきたけど、砲や機銃が余りにもそのまま残っている光景は衝撃的で言葉が出なくなります。鉄屑としても持ち出されず、本土から1000kmも離れている僻地だから回収もされず、地下壕がかなり立派に出来ていることでこうして残っているのです。

1枚目は陸軍四一式山砲。元々ここにあったものではないんだけど(この山砲は分解・持ち運びが出来るものなので)敵から見えにくい位置に移したそう。
2~3枚目は海軍12cm高角砲。昔は重巡に搭載されていて戦中には旧式化してしまったけれど、生産がしやすいことから戦争後期では陸上砲として数多く生産。そのひとつがこうしてここに。鉄筋コンクリートで作られた壕も相当しっかり残っています。
4~5枚目は陸軍八八式7cm夜戦高射砲。ほぼ完全な形で原型を留めており、これの衝撃が半端ではなかったですね。地面に転がっているタイヤも当時のもので、NAIGAIのロゴが「これ本当にその時そのまま?」と思いそうになるくらいしっかりと残っています(写真では遠めかつ縮小しててちょっと厳しめ。一応見える)。条件が良ければタイヤってかなり残るのね。
内外ゴムは今でもある会社で、後年になって社長がここまで訪れて来たこともあるそうです。今回のガイドさんはその時の案内もしたとのこと。



さっきの12cm高角砲が元々あった場所。
移設後は円卓の作戦会議室として使用。











1枚目は発電所。
2~5枚目は海軍通信所跡で、爆撃を想定してかかなり重厚な作り。扉は鉄の部分だけで5cm。終戦直後に航空機からの爆弾が建物内で爆発しており、建物内部で鉄筋コンクリートが持ち上がっているのはそのためです。やはりここも当時ここで働いていた方々が後年訪れており、案内した際に色々お話を伺ったとガイドさんは仰っていました。そうやって得て来た情報が自分たち観光客へのツアーへも反映されているというわけです。

小笠原出港日の午前半日コースではあったものの、3時間とは思えないほど濃密なツアーでした。ツアー概要を見るとポイントは数ヶ所に見えて、増強された要塞はかなりの規模で至る所に見所があり、ガイドさんの説明が入ります。爆撃されてどういう向きに風上風下があってどういう風に被害が出たであるとか、どこまでが戦前でどこまでが戦後であるとか、当事者からの証言であるとか。規定の金額をお支払していますけど、なんかそれだけでは本当に申し訳ないくらいで。
要塞跡は今回巡った夜明山だけではありませんで、今回巡ることが出来なかった箇所もこの目で見たいな…。撃墜された米軍機・P51ムスタングも残骸がそのままあるようですよ。

▼二見港出港








迫る台風19号による波浪の影響で、出港が1時間早まった最終日。
小笠原の出港と言えばこれです。30年前にもほぼ同じようなものを見ています。小笠原は島に惚れ込んだ移住者が多いのですが、世代や人が代わってもこういうのは受け継がれているんだなと嬉しかったし、また会いましょうって言われたり書かれたりしていると「また来たいな」と思っちゃう。船で追いかけてたり港で手を振ってる以外にも、防波堤の子どもたちも、出港に合わせて海に飛び込んでいました。

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あっという間の5泊6日、現地3泊の旅でした。
30年前と変化していた部分、30年前は何も知らずに喜んでいたのが実は喜んでばかりはいられないことに気付いた部分に色々思ったりはしました。特に生態系ですね。
着いた当初は「楽しい!」というよりその色々思ってしまった部分が先立ってしまったんですが、それもツアーとかであちこちを巡るほどに「まだ見ることが出来ていないところが幾らでもある。もっと見たい」という気持ちが後から持ち上がって来て、今は「やっぱりまた行こう」と思っています。天気がもっと良ければ見られたものもあっただろうし、母島には今回も行けるだけの時間は割けていませんし。次は30年と言わず、もっと短いスパンで遠くない内に実行したいもんです。

船酔い体質であるかどうかが大きなハードルではありながら、もし興味があるなら是非一度行っておくべき所ではあります。行ったら1週間帰ってこれませんけど、それは逆に言えば1週間遊んでていいってことです。
日本軍がかつて作り使用していた場所に飛行場を改めて建設する計画については、ウチ個人としては飛行場が出来たら環境は維持出来なくなると思っていますし(観光客としての見方的には)24時間という船旅含めて小笠原の魅力だと思っています。今の御時世で、丸1日携帯の電波が入らない経験なんて相当減ってると思いますよ。
是非船で。それだけの価値があそこにはあります。


竹芝客船ターミナルから996km南に下った先は、やっぱり東京都。
でもそこには色々な発見があり自分を見つめ直すことができる、本土で過ごすのとは全く違う非日常的な日常が待っているのです。