歌の力が導いたその先に──Walküre 2ndLIVEから激情、そして3rdLIVEへ

2月 13th, 2018 No Comments »

■マクロスポータル
http://macross.jp/
■戦術音楽ユニット・Walküre 3rdLIVE「ワルキューレは裏切らない」
http://macross.jp/delta/walkure/livepage.php
▼【前回記事】横浜に女神の歌が響き渡った日──Walküre 2ndLIVE「ワルキューレがとまらない」
http://amytis.main.jp/blog/?p=5156
▼【前々回記事】今再び始まる、共に成長する物語──Walküre Attack!(2016/08/14)
http://amytis.main.jp/blog/?p=4751
▼『劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ』本予告


2018年2月はマクロス強化月間だ。スカイツリーとの大型コラボに始まり、劇場版公開とそれに伴う新譜の発売、そして3rdライブ。
このように大きな動きがあると、メディアなどにインタビュウが掲載されたりする。その中のいずれでも触れられていたのは「ワルキューレ2ndライブまで劇場版の制作は決定していなかった」「2ndライブでワルキューレとしての主だった活動は終わりになると思われていた」「ファンもその雰囲気を察知していた」ということであった。それは実際にその通りだったと現地で感じている。
幸い、ワルキューレはマクロスシリーズに連なる存在であるので、この先完全に忘れ去られるということはない。出ては消えていく過酷な世界の中では救われている方なのだが、とは言え一度区切りがついてしまうと歴代歌姫扱いとなり、単独での本格的活動は流石に機会が厳しくなる。しかし団結力と総合的な歌唱力においてシリーズ随一を誇るこの5人の存在は大変貴重で、「出来れば続いて欲しい。もしこれが最後なら自分たちの信じた存在へ、瞬間完全燃焼するのは今ここしかない」…そういう雰囲気に全体がなっていた。
それがあの2ndライブであった。

そんな諦めるかとばかりのワルキューレを取り巻く熱意が、運命を変える。「ここまで成長したユニットをこのまま終わりにしていいのか!?」と2ndライブ後に劇場版制作のGOサインが出され、ワンマンライブは再び横浜アリーナに凱旋が決定。まさに歌の力が未来を動かしたのだった。
歌が命運を左右するのは、いかにもマクロスらしい。



前回のエントリでも触れているが、マクロスΔがシリーズにおけるその新機軸として打ち出した最たるものはワルキューレである。チームであり、Fと違ってユニット名が最初から存在し、戦闘する上でも戦術音楽ユニットとして欠かせない存在だ。あらゆる点で彼女らがキーとなっており、劇場版で展開を改構成するにあたってはそこを更にフォーカスしたものとなった。
元からΔをワルキューレありきの物語として受け取っているならば、劇場版は比較的素直に楽しめるだろう。120分の上映時間の中で挿入歌20曲超という圧倒的な物量はワルキューレという名の風である。その風に乗って鑑賞する体で行けば驚くほど気持ちよく最後まで飛んでいける映画となっていて、それはまるで投げた紙飛行機が高度を多少上下しながらも遠くへ飛んでいくかのよう。物語のテンションはTVシリーズと比べ高めに設定されており、これは2ndライブの熱気を受けてのものとのことだ。下がりかけるところであまり下げないようになっており、そういう場面が不可避であっても立ち直りがかなり早い。

これに伴いシリーズお約束の一角である「三角関係」も本劇場版においては薄められている。ハヤテは最初からミラージュとタッグを組んでおり、フレイアとハヤテの関係は最後まで恋仲未満でしかない。TVシリーズでは終盤までミステリアスさを抱えっぱなしだった美雲も、星の歌い手のクローンとして利用されるまでは同じだが「1人でも欠けたら意味を失ってしまうから」仲間と共にありたいと強く願う姿が強調されている。
このように改められた結果、ワルキューレとそれを取り巻く周囲の人達のチームワークが強く押し出されるかたちとなった。これはマクロスΔが本来目指していた方向性に近いものだ。

だから劇場版は、これまで作品内外でワルキューレというチームを応援して来たファンへのアンサー的意味合いが強い。この文脈を全く読み取れなかったのなら、2ndライブBDの鑑賞を強く推奨する。2ndライブと劇場版は繋がっている関係にあるのだ。そして恐らく、劇場版と3rdライブも。

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初めて「いけないボーダーライン」を聴いた時。
その声が収録時14歳という、マクロスシリーズ歴代最年少歌姫の声によるものと知った時。とてつもないことになる予感を覚えた。
その予感は正しかったと改めて思う。その後彼女たちはアーティストとしてのオンリーワンを目指すべく圧倒的に複雑な歌唱を実際にやってのけ、可能性がボーダーラインを越える展開を幾度も見せて来た。2ndライブだって元々は1日日程だった。
超時空要塞マクロスから35年。時代と共にあったマクロスが今、このような素晴らしい面々に支えられ展開されていることを本当に嬉しく思う。

Welcome to Walkure World。
ワルキューレの公演はいつも、この歌詞を持つ曲「恋! ハレイション THE WAR」で締め括られてきた。公演1回1回はその場限りのナマモノで、必ず終わりがやってくる。しかし同時に始まりを感じさせるこの雰囲気が好きだ。この歌詞を聴くと瞬間完全燃焼すべく挑んだイベントの数々を強く思い出す。
劇場版では「Dancing in the Moonlight」がこの歌詞を採用していて、スタッフロールであるにも関わらず始まりを予感させてくれる。

本当の最後がどこになるかはわからない。ただそれがどこであろうとも、”今”をただ全力で前へ走り続けたワルキューレ。その力強さを信じてここまで来た。
歌の力が導く先は、横浜への女神の歌声の再臨。その日は、もうすぐそこまで迫っている。

「BEATLESS」を知るための簡易手引

10月 7th, 2017 No Comments »

“――その笑顔を僕は信じる。君に魂がなかったとしても――。”


■アニメ「BEATLESS」公式
http://beatless-anime.jp/

それは「ヒト」と人知を超えた「モノ」が織りなす、信頼と選択…そして覚悟の物語。
月刊Newtype誌での連載後2012年に単行本化、その発売から5年を経てアニメ化発表となった小説「BEATLESS」。長谷先生の作品としては初のアニメ化です。どのような映像にされていくかは始まってみないと何とも言えない部分があるものの、少なくとも原作については傑作との呼び声も高いものであります。
また本作は、物語完結後もここを起点とする試みがこの5年間行われて来ている点も特筆すべきところです。ですがそれらがいくらか散らばってしまっているため、その世界観や設定について追うための簡易手引を記すことにしました。


昨今、ヒトとAIの共存の可能性について話題になることがよくありますね。本作はまさにその部分をストレートに取り扱ったもので、人工知能が人間を超える “シンギュラリティ” 到達から半世紀以上を過ぎた西暦2205年を舞台とし、超高度AI抜きには人間の生活が成り立たない世界でヒトとAIの新しい可能性を探ります。まさにこれからの未来に向け、今読むべき一冊。
理解を深める一助として触れていただければ、一ファンとしては幸いです。

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■小説「BEATLESS」公式
http://beatless.jp/

月刊Newtype誌にて連載された当時の挿絵は、紙の単行本では本文から全て省かれています。それを補完するかたちで、ギャラリーにて公開中。
…だったのですが、アニメ化公式サイト開設にともないこのドメインがリダイクレトされるようになったため、挿絵については

http://beatless.jp/gallery/

を参照。
電子書籍版(紙と違い上下巻構成)では本文中に挿絵も掲載。


■Analoghack Open Resource
https://www63.atwiki.jp/analoghack/

BEATLESSにて展開された設定および世界観を(ポリシーに則ることで) “誰でも自由に一次創作を出来る” ようリソースとして開放するプロジェクト。ここから色んな一次創作が旅立って欲しいし、そこまで出来なくても「とにかく設定を読み漁るのが好き」という向けにもおすすめ。
長谷先生自身による運営。


■天動のシンギュラリティ(連載中)
https://www.famitsu.com/comic_clear/se_tendou/

長谷先生監修。BEATLESSと同じ世界観・設定のもと展開するマンガで、隔週にて連載。時系列としては22世紀に突入しているBEATLESS本編より少々前で、21世紀末である2099年が舞台。
単行本は4巻まで発売中、単行本巻末には長谷先生書き下ろしの小説を収録。


■My Humanity
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/21140.html

長谷先生初の短編集。BEATLESSスピンオフ「Hollow Vision」収録。時系列としてはBEATLESS本編開始の前年にあたる。


■BEATLESS-dystopia(全2巻)
http://www.kadokawa.co.jp/product/321205000129/

1巻が小説単行本と同時期に発売。2巻で完結しており、お話としては全体の1/3(4章)まで。
「小説版をビジュアル化するとどうなるのか」をかなり忠実に漫画化したもので、挿絵以外での脳内補完としては非常に適しています。ただ先に述べた通り漫画版は原作ラストまでは描いていないため、小説版を先に読んだ方が良いでしょう。


■びーとれすっ(全1巻)
http://www.kadokawa.co.jp/product/321205000131/

4コママンガ。こちらも小説単行本と同時期の発売。
巻末に長谷先生からの寄稿あり。


■BEATLESS – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/BEATLESS

定番のWikipedia。

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※+α編

■”ANALOGHACK”
http://uncron.com/analoghack/

2014年冬のコミックマーケット向けとしてアナログハック・オープンリソースの世界観に基づき企画された合同誌。


■BEATLESS “Tool for the Outsourcers”
http://beatless.jp/inside/

資料性の高かった同人誌「INSIDE BEATLESS」に画集とCDが足された限定版。


■ANALOGHACK INAUGURAL PREPARATORY ISSUE
http://blog.livedoor.jp/sat_hase/archives/72143456.html

単行本版メンバーによる、アナログハック・オープンリソース本気の作例として作られた同人誌。2017年夏のコミックマーケットにて頒布。
作例の他に座談会が掲載されており、そこでは驚愕の事実が判明し…?

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長谷先生の作風はハードSF的な傾向を持ちながら、ラノベ出身作家ということもありキャラクターを主体として物語を駆動させる特徴を持ち合わせたものとなっています。また、同じ問題をシチュエーションを変え何度も繰り返すことで、執拗にキャラクターをへ抉り込んでいくスタイルも魅力のひとつです。
その気持ちに偽りはないか。責任は取れるのか。極限まで迫られるからこそ、キャラクターたちが強く印象に残るというものですね。

煌めきの先を紡ぐもの 〜KING OF PRISM新作制作決定によせて

9月 13th, 2016 No Comments »

■『KING OF PRISM by PrettyRhythm』公式
http://kinpri.com/
▼前回(公開当時)エントリ:映像を超えた煌めきの世界へ ~KING OF PRISM by PrettyRhythm鑑賞を終えて
http://amytis.main.jp/blog/?p=4575

2016年9月11日に開催された「KING OF PRISM Over The Rainbow SPECIAL THANKS PARTY!」。それは去年から始まったプリズムの煌めき復活の始終を巡る、フィナーレイベントでありました。他の方がどう感じたかはともかく、自分としてはそのように受け止めています。
全国2万人が同時に応援上映するその最中で胸に去来した、ここに至るまでの思い出。個人的なエピソードにて振り返ります。

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(2015/07/20)
▼劇場版の裏話&『プリティーリズム ディアマイフューチャー』の映像化も! 『劇場版プリパラ み~んなあつまれ!プリズム ツアーズ』踊る! アイドルおうえん上映会レポ
http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1437790143

今に直接繋がる流れのひとつ。
通常、おうえん上映とは映画館で着席しながら楽しみましょうという主旨であるところ、渋谷のクラブハウスを借りるからオールスタンディングかつ踊りもokにするという何とも豪気なイベントが去年の夏にありました。クラブハウスの方も「うちのところでこんなのやるの初めて」と仰っていたくらい異例の組み合わせ。
とても楽しかったその様子はプリズムツアーズ円盤特典として記録されていたりもするのですが、これの帰り際にアンケートがあり、そこには「プリティーリズム男子のスピンオフがあったら、どのくらい観たいか?」といったような設問があったのです。
今結果論で言うなら、ここでキンプリ企画のための数字を探ろうとしていたわけですね。10回以上は観ますと回答した記憶があります。

とは言うものの、このプリズムツアーズをもってプリティーシリーズはプリティーリズムからプリパラへとバトンタッチを終えており、どんなに冷静に考えても終わったはずの先代を別個動かすなどということが容易ではないのは素人目に見たってわかる話でした。まず何より後継作を先代が邪魔すると本来のターゲット層が混乱します。その後継作も先代以上に好調な数字を記録しており、わざわざ先代を引っ張り出さなくても良いくらいに成長していました。だから「あったらいいですね、そのうち」くらいの印象で…。
イベント中、参加者から菱田監督へ「プリティーリズムは終わらないですよね!?」と質問がありましたが、あるとわかって言ったのではなく本当に願望ただそれだけで投げかけた質問でしょう。誰だって終わって欲しくない。でも現実がそんなに簡単でないこともわかっている。
実はこの時菱田監督は少しだけほのめかすような発言を残しているのですが、よもや数ヶ月先に本当に待っているとはまだ知る由もありませんでした。


(2015/10/04)
▼劇場版公開のサプライズ発表に大歓声! プリティーリズム「エーデルローズ入学説明会」レポ
http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1443956511
▼最終回からやる気まんまんだった!?  Over The Rainbowが主役の劇場アニメについて監督たちに聞いてみた
http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1444113355
▼「エーデルローズ入学説明会」キンプリサプライズ発表の模様


このイベントはキンプリの制作発表会でありながらそれを完全に伏せ通し、Over The Rainbowのファンディスク発売記念イベントの体を装ったものでした。
サプライズ発表における会場の様子が全てを物語っています。動画を明るくしてよく見てみると、頭を抱えてる方もいます。でもそれはごく普通の反応。2014年に終わった筈のプリティーリズムに2016年とつけられる、あるはずのないことが起きているからこその動揺なんです。
嬉しいより先にまず正気を疑いまいたね。avexやること普通じゃないと常々思ってたけどこれほどまでとは。


リンク先の記事中で菱田監督が手にしている黄色の大きな花束は、友人発案のもとウチが贈ったものです。菱田監督に花束贈ろうぜ! くらいの軽い気持ちで、色も折角だからエーデルローズっぽくするかーと思ったらまさかの制作発表記念に。江戸川橋のお花屋さんありがとうございました。


(2015/12/22)


映画公開より18日早く行われた試写会。倍率は25倍だったそう。
この倍率は「低すぎる」もので、やっぱり駄目かと思い始めたのもここから。倍率の数字は一見立派ながら、試写会会場は25組最大50名だったので、この日東京某所に出て来ることの出来る人数を考えたとしても応募数600強というのはあまりにも頼りないものでした。都心ですらこれでは劇場がスッカラカンになるのでは…それを覆す数字が見当たらない。
しかし目の前で繰り広げられた映像はどうしようもないほどプリティーリズムで、疑いようのないプリズムの煌めきだったのです。詳しくは前回エントリへ。



映画公開前ニコ生は、試写会が行われた同日のこと。
これを知らずにあの映画を見ると普通に続きが決まっていると感じるはずです。いやーavexも思い切ったことしたものだなあと悠長に考えながら帰宅してニコ生を見たらこれだった。あれは当時時点では一種のウソ予告だった。菱田監督のコメントには頭を殴られるような衝撃を受けました。そう、やはり現実は全く甘くない。

公開までネタバレせずに黙る18日間は非常に苦しいものでした。一度終わったはずの煌めきが再び広がる可能性をこの作品が秘めていることへの確信、一方で一般公開前であったため「プリリズは女の子あってこそでしょう」と言った声に対しての反論の出来なさ。監督の語る崖っぷちの現況。可能性に確信は持ててもそれが実現するとは限らない現実の厳しさ。そんな思いがどこにも誰にも出すことが出来ない。
しまいには自分の中でぐるぐるさせるあまり本当に具合が悪くなり始めてしまい、苦しさから逃れるために書いたのが、一般公開後最速に近いタイミングで公開した前回のエントリとなります。
ですが、菱田監督の語る崖っぷちの状況にその時点で奇跡は起きようもなく。本当に苦しかったのはこの後だったのです。


(2016/01/09以降)
正確な数字こそ取れないながらも動員傾向はある程度追いかけていたのですが、途中で追うのをやめようかと本気で考えたりもしていました。もう本当に全然人が入っていない。
制作陣のエピソードで「2週目まではお通夜だった」と語られるその実態は、公開4日目で早くも初日比8割以上減の急落、平日はそのまま持ち上げることが出来ず、週末で前週比7割くらいまで戻すも平日になってまた死体蹴り。1/19が底といったようなものでした。つまり既存ファンが自分の行ける範囲で頑張って行っている、ただそれだけだったのです。平日観に行ける人がいない。都心ならまだマシであっても、都心から離れるほど悲惨になる数字。

話題が話題を呼び前週比がひっくり返り始めたのは1/20から。しかし人入りが増えたからと言って映画館は急激に予定を変更出来ません。更に原則3週間公開予定で2週目以降は上映回数自体が減ったことから、激減した時期の分を取り戻すのはもはや不可能とさえ思われました。
結果は多くの人が知る通りです。上映を終了する映画館が出る一方で、avexのスタッフが必死で上映館を増やし、話題を聞きつけ興味を示す人が映画館に訪れ、SNSで拡散し、その間に上映館がまた増える…そうして綱渡りを渡りきったのです。
公式も話題を切らしてはならないとばかりに何がしかを告知し続け、1/23と2/20にはレインボーライブもあわせオールナイト上映が開催されました。特に2/20は所謂「プリズムダイブ」回が含まれており、おうえん上映でありながら悲痛な展開に劇場内が完全に静まり返る、貴重な体験だったと思います。


(2016/06/18)
▼劇場アニメ『キンプリ』が、4DX(R)シアターで上映!? 大阪での舞台挨拶も決定し、観客動員数は36万人突破!
http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1463707391

キンプリが劇場公開された週明けのこと。その余りの煌めきに体感者たちは「これは4DXがあったら面白いのではないか」と勝手に妄想を始めます。ちょうどこの頃ガルパン劇場版が4DXをやるかもという話が出始めたからですね。
とは言うものの、先に述べた通り現実の興行成績は急落している真っ最中。妄言も甚だしい只の寝言が、あれよあれよと興行収入が伸びてまさかの実現。実に正しいお金の使われ方でありましょう。

制作陣により演出の追加も行われたその内容は1時間の映画で泡が10回以上出るという超密度の煌めき体験で、キンプリ4DX以上の頻度で泡を出す映画は他にありません。それは煌めきが遂に物理となった記念日でした。
この頃にはキンプリでの成功例を受けてか他作品でも応援上映がよく見受けられるにようなりつつも、後続を引き離さんとばかりに4DXへ応援上映を掛け合わせる前代未聞の企画も実施。「とびだすプリパラ」の立体視おうえん上映の時もそうですが、組み合わせることは出来るけど本当にやっちゃうのがavexです。どっちも凄かったけど、正直組み合わさると応援の方が疎かになるのは否定出来ないところですね…(笑


(2016/08/15)
▼『シン・ゴジラ』発声可能上映 実施決定!
http://www.shin-godzilla.jp/news/news_160808_1.html


声を出して良い上映形態はキンプリの専売特許ではありません。キンプリ以前のプリティーシリーズでもやっていたし、それより更に前にやっていた作品もあります。しかし「応援上映? ああ、あれね」とわかる程度に知らしめた立役者は間違いなくキンプリと言って良く、キンプリのヒットがなければ日本が世界に誇るゴジラで声出し上映が行われる日が来ることはなかったと思います。

ゴジラを応援したかと思えば自衛隊を応援し、ヤシオリ作戦で始まるイッキコールが面白すぎて、エヴァンゲリオンでお馴染みのあのテーマが流れればリズムにあわせて手拍子する。作品本来の主旨から相当外れた楽しみ方ではあるものの、これはこれで楽しみ方の一種としてはアリです。
「キンプリがとんでもねえ方向に世界線を曲げてしまった」そんな1日。近くキンプリに続きゴジラでも全国同時多発発声可能上映が実施されます。参加する方は思い思いに楽しんで下さい。マナーと心配りは忘れずに。

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これだけのことが1年と少しの間にありました。
当初は円盤さえ出ないことも覚悟しました。事実プリティーリズムの劇場版は当初円盤化の予定がなく後で決定されたものだし、プリパラも「とびだすプリパラ」は円盤化の予定が今に至るまでありません。avexは映画になれば必ず円盤を出してくれる会社ではないのです。サントラ発売を望み、円盤化を望み、そして「映画としては単体で完成しているが物語としては完成していない」続きを望む。無謀過ぎる苦難の連続。急激な規模の拡大に、公式の対応が後手に回った時期もありました。

多くの人が新しく煌めきの世界に触れたおかげで今があります。
Over the Rainbowの3人を呼ぶことが出来、1年前は200人で祝った制作発表が1年後には全国2万人で祝えたこと、本当に幸せなことと思います。苦しい1年だったけど、1年という期間は煌めきにより世界の見え方さえも変えてくれたかも知れません。これらを振り返りながら見るイベントで泣かないわけがないんですよ。色々ありすぎたんだもの。
レインボーライブ女子がイベントで声の出演をしていたことも、これが復活の一部始終であったことの意味を今一度強くするものです。キンプリはレインボーライブあってこそのもの。レインボーライブはプリティーリズム・オーロラドリーム/ディアマイフューチャーがあってこそ成り立ったもの。過去から紡がれるそれぞれがあって、今がある。

当初から想像も出来ないほど規模は大きくなったけど、それでもこれはプリティーリズムなんです。公式も声優陣もずっと忘れていない。それがわかる良いイベントだったと思います。ここまでの始終を巡るフィナーレとしては、仮に新作制作発表がなかったとしても完璧だったと言える内容でしょう。

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かつてレインボーライブ50話で、彩瀬なるは奇跡を起こしました。
世界からプリズムの煌めきが失われ、プリズムショーシステムが停止し演技がまともに出来る状況でなくなっても、煌めきはすぐそばにあると信じて諦めず演技を続けた。結果プリズムライブは再発動し、人の手により世界はプリズムの煌めきを取り戻します。

奇跡は現実にも起こされました。筋書きもほぼその通りに。いつかまた、終わりは必ずやってきます。ただしそれは少なくともここではなく、煌めきは過去から現在を経て、未来へ。
人の手によって本当に奇跡が起きることを知った経験は、その人の将来へ何らかの影響を及ぼすことさえあるのかも。プリティーリズムとは、映像作品を超えて生き様そのものなのかも知れませんね。

▼劇場版「KING OF PRISM-PRIDE the HERO-」制作決定告知映像

シン・ゴジラ鑑賞を経てのおぼえがき

8月 8th, 2016 No Comments »

組織が組織であるために必要なこと。
組織の上に立つものの仕事は、それに決断を下すこと。
この映画は怪獣映画である前に…いや、怪獣という虚構をもって引き出される働く大人たちの物語。

序盤から中盤にかけて、想定の上を行き続ける事態に対して大河内総理へ様々な意見が提示される。それらは各々の組織による見解であり、真反対の意見も並ぶことになるが、重要なことは情報の共有だ。そのためにはまず前段階として根拠のある多角的な情報が揃っていなければならず、だから後から追加で言い出すと柳原国交相の言うように「なら早く言いなさい」ということにもなるし、明確な根拠もなく「生物という可能性」という個人見解を進言する矢口も、例えそれが正論であったとしても組織のルールに反することをしているから赤坂にたしなめられる。

同じようなことをしている人物に環境省で課長補佐をしている尾頭がいる。総理が「御用学者では話にならない」として、誰でもいいから話のわかる者として出て来たのが彼女であったが、当初彼女は個人として来ており、閣僚が大勢居る中でパソコンと格闘して情報収集しつつ「見解に対する見解」という個人プレイをしている。やはり手順を踏まない行為をしているがために、露骨に嫌な顔をする者がいた。

彼らの立ち位置は巨災対という組織が誕生することで変わり始める。
例え変わり者の集まりであっても、人事に影響しないから自由に発言出来るという特例的な方針であっても、これは官邸内に設置された歴とした組織だ。それを吸い上げて矢口プランとした時、きちんと総理は「組織から上がって来たひとつの可能性」として認識してくれている。今度はきちんとステップを踏んでいるのだ。そして人類が遭遇したことのない脅威に対し、個人の見解ではない形で立ち向かう。
カヨコ米国大統領特使の存在が目立つが、その裏でこの2人の立ち振る舞いが見逃せない。


組織には様々なレイヤーがあり、それぞれに決められた役目と仕事がある。例え事態がどのようにあってもそこは変わらないし、組織に限らず物事には前提があるのだというのを、前半でひたすら叩き込む。その叩き込みとゴジラ進撃という作中唯一の非現実がクロスしていく中盤までがかなり面白い。
個人的には登場人物のセリフの早口よりもカットのテンポの早さが印象に残った。事態が急を要するのだから早口はむしろ自然に感じるが、テンポの早さは明らかにわざとやっている。それほどまでして前提として叩き込みたく、必要であれば同じことも繰り返す。その丁寧さが異常過ぎてすごい。
叩き込むわかりやすい例には「総理、ご決断を」があるだろう。前提があるから結論が出せる。しかし決めることは容易ではない。そこに組織上の役目として間を繋ぐ赤坂と東内閣官房長官がいる。そうしてトップに立つ者は決断することが出来る。それを極めてわかりやすく見せているのがあのセリフだ。事ある毎に、本当に絶妙なタイミングで綺麗に繋いでくる。

組織のあり方とやりとりでここまで面白いと思ったのは初めてかも知れない。


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架空の物語を語る時、ありそうもないことを最初からベラベラと語られたら受け入れるのは厳しい。我々の理屈で動いていないものを短時間で理解は出来ないからだ。この映画はゴジラという神にも等しい存在にまつわる事象以外にあからさまな虚構はなく、ひとつの巨大な嘘をつくために他の全てが現実に則するような形となっている。フィクションとしては当たり前のことをしているに過ぎないが、その徹底ぶりが並大抵のものではない。だから、怖い。

緻密に描写された上で乗せられて来た恐怖に関して決定的なものは、夜の災害は1回だけだったということと放射能、このふたつだったと感じている。
夜はあらゆるものが怖い。怖いと思わないのは文明のおかげで光も手段もあるからだ。昼間だったら容易に逃げられるようなところも、夜は視界が悪く同じようには行かない。そこへゴジラがやって来て、築き上げた人間の営みを簡単に破壊していき次々停電、これでは進むべき道もわからない。携帯でやりとりするシーンも多々見受けられるが、電話が混み合っていたり基地局が死んでいたりして、連絡を取り合うことは容易でないだろう。
またゴジラが通り過ぎ、攻撃を放った地域は放射能汚染に見舞われる。放射能自体は初代ゴジラから切っても切り離せないが、被害状況がマップとしてスクリーンにも何度か表示されたり、ホットスポットがどうのこうのと言っていたりして具体的でかなり生々しい。SNSでは放射能汚染情報が拡散され、皆が好き勝手なことを言っている。

このどちらもが、とても見覚え・聞き覚えのあるものとなっている。人の制御を超えたところで起きる著しい災害として直近だけでも東北や熊本で大地震があり、東北では福島原発が事故を起こして、今も被災地域の完全復旧には遠い。東北で巨大地震が起きた日、自分は家に帰る手段を早々に失ったため、会社に残った。会社から頑張って帰ろうとした者はかなりの距離を夜中歩いたと聞く。その後の報道では来る日も来る日も福島原発の被害状況が伝えられた。
その時の怖さというのを、被災地でなくてもある程度の体験はしている。描写が緻密だったのは災害前だけでなく災害そのものもそうだった。だからスクリーンの向こうの人達がどこか大騒ぎしているだけの映像でなく、少なからず実体験としてスクリーンの向こうとこっちが繋がってしまっており、とてつもなく怖い。あの場所にいたら自分は死んでいただろう…そう想像せざるを得ないほどの説得力が、あの悪夢のような夜を迎える時点で完成されていた。

大きな嘘をつくためにひたすらこつこつと嘘でないことを積み重ねる。細かく積み上げられた前提から展開される次は必然性のあるものとなる。それの連続。一足飛びのやり方はなく、説得力のある話とは結局のところそうせざるを得ない。だからあの夜は怖かった。この夜があるからこそ15日後のヤシオリ作戦での爽快感が活きて来るし、ここまでをしっかりやったからこそ(現実にある物は使いながらも)若干作戦展開がハチャメチャであっても、納得しちゃうのである。
なんというかお手本のような作りだと思った。

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さてこの映画は総監督が庵野氏だ。
庵野氏が「トップをねらえ!」で初めて監督をしてから28年になる。その28年分の集大成がここにはあった。状況に変化があって指揮系統が動いてどうこうする展開そのものは割と今まで通りで特に大きな変化はない。エヴァっぽいと言う人もいるが、エヴァだけでやっていたわけでもなくこういう作風なのだから、そこ”だけ”を取り上げるのは何かが違う。
ただし密度が今回は尋常ではなかったのと、同じようなことをやりつつ質を恐ろしく上げたその先が日本特撮の王者たるゴジラシリーズの最新作であったところが一大事であった。庵野氏本人は昔「思いつくことに大体元ネタがあって、時に嫌になる」とコメントしていたのにオリジナルに辿り着いてしまって、しかも出来た結果が快作と呼ばれるような出来栄え。300人を超える俳優陣が見せる気迫の演技も相まって完全に「レベルを上げて物理で殴る」そのものである。それも28年分。初見時は、ヤシオリ作戦参加者を前に矢口が訓示を述べるくだりで既に涙を流していた始末。
本当になんてことをしてくれたのだと思う。シャレにならんものを観た。

1人では情報を網羅し切れないし、たびたび劇場に足を運んでもまだ足りないと思う。なのでこれも今時点で思いつけることを書き記すのみで全然全体を捉え切れたものでもない。でも書いておかないと心は移ろうものであるから書かなければいけないと思い「おぼえがき」とした。BDが発売された時には友人らで鑑賞会をしつつ、改めて密度の高い情報交換・共有を出来たらと思う。やはり情報は共有してなんぼなのだ。この映画はそう教えてくれた。
この映画から教わることは子供よりは大人に刺さると思う。社会で組織の歯車として生きることは悪いことではない。そこにもうちょっと誇りを持って取り組んだらと、そう言われているような気がしてならなかった。

映像を超えた煌めきの世界へ ~KING OF PRISM by PrettyRhythm鑑賞を終えて

1月 9th, 2016 No Comments »

■劇場版『KING OF PRISM』公式
http://kinpri.com/
■プリティーリズム CD・DVD公式WEB
http://avex.jp/prettyrhythm/


プリパラへのバトンタッチを終え、一区切りついた筈のプリティーリズム。しかし諦めない大人たちの熱意が、物語の歯車を再び回し始めます。

『KING OF PRISM』は時系列的に『プリティーリズム・レインボーライブ』を継ぐスピンオフ作品。3年続いたシリーズと異なり、今回は男の子キャラがメインです。しかしもとよりプリリズとは男の子キャラもストーリーに絡みショーをするシリーズであったため、主役を張るキャラが女の子でなくなってもそれはフォーカスの問題でしかありません。故にそこにあったのは紛れもなく、眩いばかりのプリズムの煌めきでありました。本質的には全く変わらないそのままで。

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鑑賞してまず目につくのは映像としてのクオリティでしょう。通常の作画もさることながら、特にプリティーシリーズを語る上で欠かせないCGで展開されるプリズムショーは放送終了後1年半分の技術進化がきっちりとフィードバックされており、TVシリーズとしては十分にクオリティの高かった当時から数段上を行くグレードを実現。表情もより豊かになりました。プリリズなくしてプリパラはなかったけれど、プリパラなくしてこの “今” もなかったのだなと感じさせてくれます。

菱田監督と共にプリズムショーを語る上で欠かせない人物・京極さんも、ラブライブ!などの大きな実績を経て再びショー演出として参加、加えて今回男子に的を絞ったことでプリズムショーはよりダイナミックでスクリーン映えするものに。これについて特にわかりやすいのがアレク対カヅキのダンスバトルで、舞台はかつてヒロとカヅキがバトルしたのと同じ場所。2人のうちカヅキが右側に立っているのも同じ。あえて同じだからこそ「凄くなった」感が実感しやすいのは、意図した構成でありましょう。他にもどこかで見た構図がいくつかは散見されますね。


男の子の踊るサマが凄いのはわかった。ではレインボーライブのヒロインたちは?
一応、”女児向けとしての” プリティーリズムは綺麗に完結していることもあり劇場公開までその扱いを秘匿され続けたものの、直前ニコ生で監督が「私が今までキャラを使い捨てて来たことがありましたか?」と問うた通り、概ねTVシリーズの延長線上で順当にやっていることが劇中で判明したのはご覧の通りですね。ジュネに至っては、後編予告ではストーリーのキーになろうとさえしています。声こそ入っていませんが、声を入れない範囲での出し方として見れば十分過ぎるほど。これ以上やろうとすると声を入れなきゃきつい。

これは再登場を望む只のファンサービスでしょうか。いいえ、きっとそれだけではないでしょう。エーデルローズから女子部が切り離された以外さほど状況の変わっていないように見える女子プリズム界、一方で混迷を深める男子プリズム界という対比は「これは男の戦いである」本作の特徴をより浮き彫りにさせる効果をもたらしています。だから敢えて女子の方の状況は大きくいじっていない。この辺りの見せ方は効率的で非常に上手いですね。
この効率的というのは全編を通し感じることの出来る特徴でもあります。時系列的に連なるレインボーライブも無駄な回などまるでない出来でしたが、構成の洗練され具合は映像クオリティ同様、当時を上回ってさえいるかも知れません。この中に笑いも泣きも感動もギュッとつめ込まれ、お世辞抜きに総尺59分とはとても思いがたい密度とテンポ。もしかしたら初見では放出される情報と感情の整理が追いつかないかも。

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over the rainbowの活動休止、コウジの渡米、カヅキのエーデルローズ退学申し出、いよいよ迫り来る法月仁の魔の手。数々の波乱と交錯する人の想いを抱えたまま、しかし物語は終わらないままフィナーレに。いくら効率の良い構成とは言え登場人物数と尺を考えればそりゃそうかなと納得も行くところではあるし、最後でいかにも続きが順調に制作中のような予告が挿入もされているんですが、ここで大変な大問題 『前後編なのに後編の制作が決定していない』 が立ちはだかります。
これについては直前ニコ生にて監督より告知済で、後編が作られるかどうかは興行次第だと言うのです。この「続きの制作未確定」を知っているかどうかで、この映画の印象は大きく変わります。アニメの中で「続きやるかわかんないです」なんて言っていないわけですから。

しかし直接的でこそないものの、実はストーリー展開の一部には本作の置かれている立場は幾らかメタ的に作品内へと滲み出ているようにも見受けられます。これでやっていけるわけないだろうというエーデルローズ運営費用の赤字は本作自体も同様らしく、あの赤字額は桁はともかくとして程度は示しているのかも知れません。また全くのニューフェイス・一条シンの繰り広げるプリズムショーが、その圧倒的なパフォーマンスで会場を不安から一転して魅了するもそれだけで万事解決とはならず前途多難である様子も、どこか映画を観る自分たちの心境とも重なる部分があります。そう言えば本作は男の子の裸が日常およびプリズムショーで度々見受けられますが、ゲーム連動もタイアップ企画もなく映画一本のみで勝負に出るその姿も、ある意味では丸裸の勝負でありましょう。


本来作品というのは作品として語られたもので評価するものであり、そのような外的要素を含めるべきではないかも知れません。そういうのを監督自ら、しかも公開より先にカミングアウトするのも、やり方として正しいとは言い切れません。とは言え作品でメタ要素がストーリーの邪魔をしないよう配慮はきっちりされており、きちんとエンターテインメント作品として成立するようには作られています。
そうとはわかっていても、不死鳥のように復活しながらも不死身でないどころか崖っぷちの状況を、いくらか作品に重ねずにはいられないのです。なにしろ作品に対する熱量と愛情が異常であることが、映像から十分すぎるほどに伝わってくる。全体のうち9割が新作カットという過去のプリティーシリーズ劇場版でもやってないような膨大な作業量と密度の放出に「何でこんな強烈なものが出て来るようなことになったのか」と考える始めると、やはり作品外まで及ばせないと到底納得も説明もつかないと感じたのです。

何より監督以下スタッフ陣が、プリリズとその煌めきのことが大好きだった。
もちろん好きでい続けてくれるファンがいるからこそ作品は成り立ち、そんな好きな人たちのためにスタッフ陣は限界まで熱意を注いだ。でもね、ファンなんてのは往々にして浮気者で裏切り者で薄情なんですよ。すぐどこかに行きかねないほど不確かなもの。それでも、暗がりの中に見える細いながらも強い光をまっすぐ見つめ、彼らになら確実に届くであろうものを届けようとした。もうね、これ自体がプリズムの煌めきなんですよ。
そうして出来た作品が凄い熱量なのはある意味で「なるべくしてなった結果」で、面白くないわけがないのです。

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プリズムジャンプは心の飛躍、プリズムショーは心の煌めき。
オーロラドリーム・ディアマイフューチャー・レインボーライブのどこかで煌めきに触れたなら、本作の輝きもきっと理解出来るものでありましょう。それだけのものが詰まっています。プリリズ未視聴者にはついていけないか? そんなことも全くありません。初見では多少訳がわからないことこそ否定はしませんが、主人公たる一条シンだってプリズムショーを今まで知らなかったし視点は同じ。全体的に「何か凄いことをやっている」のは伝わるでしょう。
思い起こせば、菱田監督が去年手掛けた映画「み〜んなあつまれ!プリズムツアーズ」でも、プリパラしか知らなかったところへ訳も分からぬままプリリズに触れ、そこから過去作を追いかけ始めた人を幾人も見ました。本作も導入としては多少似た構成を採っており、ここから始まるプリズムワールドも決してイレギュラーな入口というわけではありません。


かつてレインボーライブ50話で、彩瀬なるは奇跡を起こしました。
世界からプリズムの煌めきが失われ、プリズムショーシステムが停止し演技がまともに出来る状況でなくなっても、煌めきはすぐそばにあると信じて諦めず演技を続けた。結果プリズムライブは再発動し、世界はプリズムの煌めきを取り戻します。今度は自分たちがそれをする番なのかも知れませんね。
ただし言うほど簡単でもなく、未来の行く末はプリズムショーシステム停止の頃より更に困難なことでしょう。それでも信じたい未来があります。

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ここにあるは、映像を超えた煌めきの世界。
今なお色褪せぬ、凄いシリーズをかつて作り上げた人たちがいる。
そして役割を終えても未だ諦めず、熱意を持ち続ける人たちがいる。
そんな作品が2016年の今にあることを、少しでも多くの人に知ってもらえたなら。

プリズムショーの世界へようこそ。
門戸はいつだって、開かれているのです。