2016年夏コミ 寄稿のお知らせ

8月 1st, 2016 No Comments »

コミケの時期がやって参りました。
今夏の寄稿は2サークル様計3本となりましたので、その報告と紹介です。
どちらもテキスト主体の本となっています。

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■魔界戦線『ビューティフルワールド』
→広がる新しいステージへ ~『プリパラ』二〇一五年シリーズの軌跡
http://ilya0320.blog14.fc2.com/blog-entry-2268.html
(委託:8/13東ツ-32a、8/14東W-03a)

アニメ・ゲーム・映画・その他関連動向までを網羅するプリパラ総括本、昨年の『パーフェクトスマイル』に続き寄稿させていただきました。今年はアーケードゲーム1年分のまとめ担当です。

プリリズからの筐体一新でロケットスタートを切ったプリパラも、1年目は実装量や各種商品展開要素の都合から、盛り上げようとするとある程度スコアを念頭に置かざるを得なかった事情がありました。そのため去年はスコアシステムの相関関係に着目して述べていたわけですが、2年目ともなると要素の充実に伴い盛り上げる傾向や幅は次第に変わり始めます。具体的には2年目の夏にはもう兆候が見えていましたね。
何年も使われ続けることから、見た目からの新鮮味は失われる宿命にある大型筐体。そこに対しプリパラはどのような回答を見せ、どこを目指しているのか。2年目の傾向からこれからについても迫ります。


■鎧屋『旅立ちの日を見送ったあとで ~ありがとうラブライブ!~』
→覚悟と勇気が導く未来への跳躍 – μ’s 3rd Anniversary LoveLive!
→振付の変化に見るμ’sの挑戦と変遷の軌跡
http://loveliveafter.tumblr.com
(直参:8/13東パ-34b/委託:8/12東エ-45b、8/14東ク-17b)

東京ドームライブを遂に実現させ、活動に一区切りをつけたμ’s。
6年間の歩みを振り返る、全ワンマンライブ感想やプロジェクト全体を跨ぐ様々な視点からの考察など、多面的に構成されたファンブックとなっています。特設サイトがありますので、詳しい案内はそちらを参照下さい。
こちらでは2本の寄稿に加え、その後の工程も幾らかお手伝いさせて頂きました。

昔を知る人はこんなことがあったと懐かしみ、知らなくても当時はこんな空気だったんだと知り、手に取る全ての方の心に今一度μ’sが刻み込まれるかたちになれば幸いです。

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指名での依頼というのは大変ありがたい話ですね。また今回は寄稿しただけでなくその先も少しは携われたので、とても良い経験となりました。
ぜひ、どちらともよろしくお願いします。

秋葉原に船で出て来てみた

9月 22nd, 2015 No Comments »

■羽田~秋葉原間の舟運の実現を目指した社会実験を実施します(国土交通省報道発表資料)
http://www.mlit.go.jp/report/press/sogo03_hh_000091.html

社会実験に参加して来ました。
各メディアで取り上げられ知ってる方も多いと思われるこの実験。報道資料にある通り、これは観光としての新しい可能性を探るもの。羽田から秋葉原なんて電車でも40分あれば着いてしまいます。それを2時間半かけてゆっくり水上からどうですかというこのシルバーウィーク限定の試みは、休日分の申込が早々に閉じてしまうほどの人気ぶり。急遽増便が決定したほどでありました。
以下、写真かなり多めでお送りします。

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羽田空港国際線ターミナル。この写真は3階。集合場所は2階のバス乗り場前ロビーです。
まずは空港から多摩川河川敷へ。




こんなところに船着場あったんですねえ…。初めて見たよ。位置的には、天空橋駅で一旦地下にくぐる東京モノレールが地上にもう一度顔を出すところです。そのタイミングで空港向かって右側を見ていれば、多分見えると思います。
乗船した便は船長さんが女性でした。パンツルックで格好良かったなー。


ちょっと風景が寂しい。国交省主導ということもあって、運航会社さんは自前で羽田近くに持っている船着場を今回は使っていません。実際に民間が定期便を通すようになったらここではなくなる可能性はありますが、実験である内はまたここを使う可能性は高そう。
もし次回実験があったとして参加するつもりの方は、羽田発を選んだ方が楽しいかと思います。ここに着いても一般の人ほとんど見届けたりしてないし。


天空橋。移設しようとすると祟りが起きると曰くつきの赤鳥居。15年くらい前にようやく今の位置になったんでしたっけね。この辺り、すぐ近くが民家ということもあってマイクでのガイドを一時的にやめ肉声でのガイドになっています。そういう箇所が何箇所か有り。
釣りしてる人がいっぱいいる場所だけれど、魚逃げないのかなあ…。


ズンズンと橋の下をくぐっていきます。ちなみに秋葉原到着までにくぐった橋・道路・水門はおよそ40ほど。


整備場駅。普段こんなところで降りません。新型モノレールがちょうど入って来たところ。


整備場駅過ぎてすぐのところにある羽田可動橋。これはその羽田側で左にもうひとつあります。その2つが橋そのものが旋回することで道路が繋がる日本ではかなり珍しい構造…なのだけど、90年の開通後8年ほどで使用停止。ただ今後の羽田拡張に備えて撤去はしていないそう。再び陽の目を見る日は来るのだろうか。




昭和島の向かいにある東京消防庁第二方面訓練場と、そこから少し進んだところにある大田市場。大田市場の取扱いは青果物と水産物、それと花。ここから大田市場を挟んだ向こうが首都高湾岸線になります。


多摩川から天空橋に入って以降、神田川へ入るまではほぼ北上が続きます。ここは大井ふ頭中央海浜公園、みなさん連休にBBQ堪能しまくりですな。場所を問わず、船から手を振ると川岸や橋の上から手を振り返してくれる方は結構多かったんですが、一番リアクション良かったのはここでした。子供とか羨ましそうな顔してたし。わかる。わかるぞー。
あ、そうそう。今回の運航はベビーカー対応可能でした。座席にまで持って行けないけど、置いておける場所はあるようです。




品川区八潮団地。最寄り駅は大井競馬場前駅。東京ドーム8~9個分くらいの広さに住居棟が72棟ある、それなりに広域な一角です。


!? どうやら船上カフェらしい…。








京浜運河を北上し、天王洲アイル駅の手前で一旦左折。水門を抜けた先に船着場があって乗降する方がいらっしゃいます。多くは秋葉原まで行くんだけど、ちょっとそれは長いなーという向けですね。
今日、この品川の船着場には運行会社さん所有の別の船が停まっていて、船上結婚式の準備をしているところでした。ここからレインボーブリッジに出て2回くぐってお台場抜けてからの東京ゲートブリッジくぐって帰って来る2時間半コースらしい。色々なプランがあるんですな。
ちなみに水門に書かれているのは「しながわ」。水門の向こうに見える円柱ビルは汐留の電通ビルですね。






天王洲アイル。ここの一部も昔の「台場」。優雅な午後を満喫されてる方多数。


レインボーブリッジ。空に橋の白が映えますね。天気が良くて本当に良かったです。


隅田川側から見る築地市場。この辺りになると遊覧船が増えて来ます。隅田川の遊覧はいくらでもあるし、特段珍しい光景でも体験でもないので、この辺は飛ばし気味で。


月島。年に6~7回くらいはもんじゃ食いに行くのがもう何年続いてるだろう。もんじゃいいよねもんじゃ。


そのすぐお隣佃島の、この写真は佃公園のところ。


清澄橋とその向こうに建つ東京スカイツリー。


江東区の芭蕉記念館と史跡展望庭園。ここに行くなら最寄は半蔵門線の清澄白河駅ですが、こっちからってこういう景色なのね。


松本零士デザインの遊覧船ヒミコの後継、ホタルナと船上でスレ違い来たー!




北上して来た隅田川から左折して神田川へと入ります。神田川のクルーズ自体は元々あります。もちろん万世橋を船着場としては使っていませんが…。いっぺんでいいから花見の季節で神田川クルーズしたい。で、毎年大体忘れる。
写真は浅草橋の隣の橋、柳橋にある小松屋さん。佃煮で有名ですね。


小松屋の旦那が乗ってきて10分ほど歴史をお話してくれたり、歌を披露してくれたり、佃煮船上販売してくれたり。船上販売なんかやられたら勢いで行ってしまうのか、買われた方は結構多かったように感じました。これが商売ってやつだ。


秋葉原までもうすぐ。この辺、すごくダメだと思うのだけど、建物がみんな川に背を向けてるんですよね…。昼ということもあって屋形船はまだ出て行ってません。


秋葉原が見えてきたー。書泉だー! いつもそこのみずほのATMで金下ろしてますお世話になってます。


万世橋が見えて来た。とても見慣れた光景。
万世橋を発着する船の珍しさに、場所も相まって橋の上から見届ける方が大勢。






万世橋発着場。
ここがこのような構造になっているのは、かつて地下鉄を建設する際に資材を神田川を通じて運んでいたのでその名残。ここには国鉄万世橋駅だけでなく、地下鉄万世橋駅もかなーり僅かな期間ながら存在していたということなんですね。なんと85年も前のお話です。
今回はクルーズ利用客に対してのみ、橋の下も扉を開けて公開されていました。普段はこうやって中に入ることも出来ません。


万世橋の脇に臨時乗船場としてこんな感じにテントが。「社会実験」と思いっきり書かれているので、通りがかった人はそりゃあ気になりますよね。羽田にはこんな書かれ方されてませんでしたけど。




船着場の構造上、横付け出来ないのでこのような形で停めることに。乗降の安定性は特に問題ありませんでした。ただ、こうやって停めてる時に他のクルーズ来たらどうするんだろうというのはあって、そこは運航会社間の調整になるのかな。

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こうして休憩込みで2時間半のクルーズは終わったのでした。あっという間でした。見慣れてる隅田川はともかく、京浜運河と万世橋付近の景色は期待通りに楽しめたと感じています。
こういう古い古い遺構の再活用は非常に良いこと。万世橋マーチエキュートもそうですが、丁寧に使っていけば使わないまま放ったらかしにしているよりよっぽどマシでしょう。定期運行実現まで漕ぎ着けてくれたらと思っています。

大雑把な解説だけどこんな感じで。googleマップで経路を確認しながら写真で雰囲気だけでも伝われば幸いです。
もし定期便実現前に実験がまたあったのなら、ぜひ応募してみて下さい。

呉・江田島探訪記[後編]

9月 22nd, 2015 No Comments »

探訪記も今回で最終回、江田島編です。
呉から江田島へはフェリーで20分、高速船で10分。合計で1日26便。この日は呉から朝7時半ちょい前で出発しました。

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■旧潜水学校


現海上保安大学。写真右には現存するレンガ倉庫が。大学へはオープンスクールなどでない限り入れませんが、海上保安資料館ならば土日祝以外であれば無料で入ることが可能です。今回は思いっきり土日祝に当てて行ってしまったので残念。


■大麗女島旧地下特潜工場


海上保安大学から300mほど沖にあるこの島では、元々燃料の備蓄なんかをしていたところ戦争末期になり甲標的丁型・蛟龍を製造する工場が出来たとのこと。戦中のトンネルの跡なんかも船と島の角度次第ではある程度確認が可能です。
実際には、この島で製造された蛟龍はそんな多くなかったみたいですけどね…。現在は海上自衛隊が弾薬庫として使用。海上保安大学の学生も遠泳でこの島の辺り泳ぐとか何とか聞きました。


■軍艦榛名・出雲戦歿者留魂碑


ここからが江田島到着後。
海自最大の艦艇、いずも型護衛艦1番艦・いずもの先代が出雲型装甲巡洋艦・出雲でした。日露戦争にも参加している古い艦で、太平洋戦争終戦当時は練習艦。それと戦艦榛名の2隻は江田島のフェリー発着所から近いところで着底したため、こうして合同碑が建てられています。
いざ行ってみるとわかりやすそうでわかりづらい場所にあり、江田島中学校と江田島公園の西側を通る坂になっている道路を登っていくと、突然左手側に出現。「江田島公園裏手」という言葉を信じて江田島公園に入ってから向かおうとすると結構大変な目にあうので要注意。


■旧海軍兵学校






古鷹山の麓にある、現海上自衛隊第一術科学校。この建物は学校庁舎で旧生徒館。
海軍兵学校は明治21年までは東京・築地にあったので、築地の国立がん研究センターに行くと移転前の碑があったりします。術科ってのは、要は各種スキルのことですね。
呉基地や総監部と違い、ここは現在も予約なしで見学が出来るようです。平日・土日ともに可。レンガは昔のままではないけど、かと言ってレンガ風タイルでもなく、ちゃんと焼いたものを使用しているとのこと。


正門近くには護衛艦「ひえい」の錨。






大講堂の表と屋内。今も昔も入校式や卒業式として使われている、伝統の生きる場所。この屋内が実に見事で、入った時見学者の皆さん声を上げてましたね。外観の通り、天井が高いです。


かつて戦艦陸奥の4番主砲として使用されていた本物。沈んだものを引き揚げたんじゃなくて、昭和9~11年の大改装時に外されたものが海軍兵学校生徒の教材として移設されたもの。こんなのが艦の上に乗っていて、動かしていたわけですね…。なんと現在に至るまで現役です。塗装はちょいちょいやり直してるっぽい。
隣に見えるのは駆逐艦梨に搭載されていた12.7cm単装高角砲。梨は戦後10年くらい海中に放置されていたものがスクラップ予定として引き揚げられたのが、そこそこ状態が良かったので海上自衛隊の護衛艦わかばとして再就役した、変わった艦歴を持った艦であります。この高角砲は引き揚げ時に外されたもの。
このほか術科学校には数々の展示物がありますが、海沿いなんかは通常の見学ツアールートには含まれていないため、それらを近くで見たければ要相談なのかも。




教育参考館と、その近くにある駆逐艦雪風の錨。
幸運艦として太平洋戦争を生き延びた雪風はその後中華民国に引き渡され、こうして今は錨が返還されここに置かれています。呉行って江田島行ったら必ず見ておくべきもの。
教育参考館は、館内一切の撮影禁止。撮影禁止であることが頷けるほど重要な物が多数展示。見学ツアーも教育参考館見学用に結構な時間を割いています。


学校から本当にすぐそこにある古鷹山の登山入口。ちょうど江田島行く前日に艦これで古鷹改二の実装が予告され「これは登山するしか?」と思ったものの、登山しやすい格好ではなかったし急に割ける時間もなかったので断念。標高は400mくらいなんですけどね。
術科学校の近くには江田島旧海軍兵学校下士卒集会所も(今回は写真撮り忘れ)。通常は原則非公開ではあるものの、一般の人を募って月イチで掃除したりがあるそうなので、タイミング次第では敷地内を見ることは難しくないかも知れません。


■軍艦利根資料館






術科学校の対岸が重巡利根の着底した場所でした。特に目印は残されていないけど着底地点が見える場所に建てられており、さっき術科学校で見た陸奥の主砲は丁度この資料館の方向を向いてます。対岸から肉眼で見えるのよね、主砲。それだけ砲台がデカいってことです。
資料館では乗組員の遺品や艦に載せられていた備品などが展示されていて、利根に関するものはここに集めますといった感じで浴槽なんかも有り。建物の大きさの割にはかなりの数があります。
資料館の鍵は隣の能美海上ロッジの受付が管理してますので、まずは一声かけてから資料館に入るのが良いでしょう。バスの便がそんなには良くないので、江田島内の移動はタクシー直接捕まえた方が時間のロスはなくなるかな。


資料館裏手にある利根の慰霊碑。


■軍艦大淀戦没者霊碑


帝国海軍最後の連合艦隊旗艦・軽巡大淀も江田島で着底。、術科学校から利根資料館へ向かうその途中にその碑はあります。道路脇にはこんな目印が。この先途中に牡蠣の加工場があるけど気にしないで通り抜ける。






雨風避けがなされているとは言え、屋外に軍艦の模型を置いている慰霊碑ってあんまり多くはないんじゃないでしょうか。手入れに関しても大淀に関してはかなり手が行き届いているように感じますね。碑の建立自体は50年近く前のはず。記念館も公園もなくちょっと寂しい感じはあるけれど、置かれている花も新しかったことから決して忘れられていないことがよくわかります。

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こうして、2泊3日の呉・江田島旅行は終わりました。3日間での歩行距離は30km。
印象深かったのは地元の人たちの意志でしょうか。建物にしても昔のまま使えるものは今も使うことは簡単ではなく、そこに意志があって初めて成り立つものであります。呉は米軍の敷地がそれほど多くを占めていないため、より多くのものが残せたというのもあるかも知れません。
またボランティアの観光ガイドさんをよく見かけるのもポイントです。流石に史跡全てを網羅してはいないけど、案内板はあってもガイドなんか居ないと思って行ったので驚きました。海軍墓地にも1人居たし。

そういった地元の歴史資産と共生する意志を肌で感じることが出来たのが何より嬉しく、楽しい旅行でした。初めて行ったにしては巡ったポイント数自体は多かったと思いますが、しかしそれでも時間の都合行けなかった箇所や行ったのに写真撮り損ねた箇所は多数あります。
機会を改めて、また行きます。今年は佐世保だけど一通り落ち着いたら、必ず。

呉・江田島探訪記[中編]

9月 16th, 2015 No Comments »

前回に引き続き中編をお届け。
そういえば前回書き忘れた呉へのアクセスについて。空港からはリムジンバスが出ています。空港が山の上とか僻地すぎるせいで脱出するには車に頼るしかないわけですが、空港→広島行きと空港→呉行きが同じ発着所なのでそこだけは要注意。予約の必要はありません。

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さて、今回は旧海軍工廠造船部・造機部から南西方面よりスタートです。
旧造船部錬鉄工場の撮影箇所から見る方向を変えると、ほぼこの景色になります。道路のすぐ向こうは護衛艦がいっぱい。海自基地で最大の係留能力を誇るのが呉だそうですが、この圧倒的近距離ぶりは横須賀じゃちょっとありえない。近い、というだけでワクワクします。


■旧串山防空監視所




さっきの護衛艦を撮った場所から海の見える道沿いには向かわず、一本陸側の道に入ると串山。桜の名所でもあり、護衛艦撮影スポットとしても有名であります。写真は両方とも防空監視哨。2枚目の方が現在はコンクリートで塞がれた入口。
時間が足らず撮りに行けなかったものの、ここには他に呉海軍工廠職工教習所/工員養成所跡地記念碑・海軍技手養成所跡碑なんかがあります。というか元々が工員を養成するための場所で、防空監視哨なんかは太平洋戦争末期になり作られたもの。つまり、本来の役目であったところの碑を撮り損ねてしまったわけです。


串山麓にある工廠神社石碑。串山は現地ボランティアガイドもおらず、あると知った上で入念に調べないと色々見落とす場所であり、しかも山自体がそこそこでかいと来た。次回は重点的に見たい場所のひとつですね。


■アレイからすこじま




串山から海の方へ出ると、アレイからすこじま。これが公園名。
こんな近距離で見えていいのってくらい肉眼で普通に潜水艦や護衛艦が見られます。潜水艦が見られる公園は横須賀のヴェルニー公園かここかどっちかくらい。見られる近さではこっちの方が上です。
なお潜水艦についてはこのあと更に驚くことになります。


潜水艦桟橋。写真とは逆方向になりますが、ここから道路を挟んだ向かい側に旧水雷倉庫があり、そこからの引込線の跡が今も見えています。


4トン起重機。潜水艦に魚雷を積むために使い、戦後もしばらくは動いていたとのこと。今はただのモニュメントです。中に入ることは出来ます。


■旧呉海軍工廠電気部関係倉庫群




海軍工廠の前身である海軍造兵廠時代に建てられた古い建物。1枚目が10号倉庫(旧水雷倉庫)・9号倉庫(戦後建築)・8号倉庫(旧弾丸庫)。2枚目が6号倉庫(旧予備艦隊兵器庫・預兵器庫)。


旧電気部工場。上の2枚含め、現在は民間企業が使用しています。


アレイからすこじまから更に南西へ向かったところにある旧砲熕部精密兵器工場。公園のところにある倉庫は有名だけど、カーブを2回過ぎた先にあって公園から見えない場所なので見てない人が多いかも。


■海上自衛隊呉基地


第1庁舎と同様、毎週日曜日に一般公開。こちらも今年4月からは事前予約制に変更。去年行った時は1回で普通に300人くらい居たし、安全面で問題ないとは言えない状況でしたからね。FAXのみでの受付だそうです。電話の窓口はありません。
いやーしかし海が良い青だ。


見学開始待ちの場所から。潜水艦超近いですよ! 道の向こうとこっちじゃないか!










ザーッと撮ってきた一部。この日の公開艦艇は訓練支援艦てんりゅうでした。バースの手前側に係留されている艦の公開だったため奥には行けないし、あちこち写真撮るにも限られた角度ではありましたが、バラエティに富んだ艦が数多く係留された、ゴチャゴチャッとした光景はたまんないものがありますねえ…。これが毎週公開だもんなあ。いいなあ。
さて、駅前に戻ります。


■呉駅周辺


駅周辺から紹介しなかったのは、駅周辺は誰でも見るから。見て欲しいのは駅から離れたところだから。この巨大なスクリューは北口に設置。ここからは市役所のある北東方面へ。




駅から市役所の方へ向かうと川の近くに蔵本通りという通りがあって、そこでは毎年12月から1月上旬にかけ「イルミネーションロードくれ」が開催されています。ウチが行ったのは11月最終週だったので点灯はしていませんでしたが、準備は進んでいた感じ。
1枚目は紫電改の実物大、2枚目は1/20サイズ赤城。他には1/20大和も。もちろんいずれも呉がゆかりの地。紫電改はひとつ山を超えた向こうの広で製造されており、時間の都合今回は断念しましたが割とすぐそこなので次回は広にも足を伸ばしたいものですね。


イルミネーションのあった蔵本通りから港の方へ戻る途中での1枚。今は滅多に使われることがないだろうと思われる、古びた線路を残した橋。橋の向こうは海上自衛隊呉教育隊。方角的にこの写真での教育隊の向こう側が、前エントリで紹介している入船山公園となります。


■大和ミュージアム








ようやく大和ミュージアム。まずは外観入口側から。
知識に疎いと「なんで大和ミュージアムなのに、ここにあるのは別の艦(陸奥)なの?」と思われることもあるようです。理由はいくつかあって、陸奥自体の建造は横須賀だけど主要部材は呉海軍工廠で製造されたものであったこと、陸奥が爆発事故で沈没した場所はここから江田島の向こうにある柱島だったことなどが挙げられます。
ちなみにこことは別に「陸奥記念館」というのもあります。ただ、江田島から柱島を見たその反対側になる山口県屋代島にあって、松山空港からフェリー乗った方が行きやすかったりとアクセスかなり悪め。行ってはみたいんですけどね…。


大正初期生まれの金剛に搭載されていたボイラー、近代化改装の際に取り外された後はなんと平成5年まで現役だったとのこと。暖房用として使ってたそうで、展示にあたって焚き口は復元されましたが80年動いていたとは…。日本初の超弩級戦艦の時代から終戦を経て昭和天皇が崩御し、windows95が数年後には出ようという時代までを見届けた、まさに生きた歴史そのもの。


大和型探照灯の予備。でけー! そしてこの曲面が綺麗すぎる。
厚さ1cmのガラス曲面に銀メッキされていて、直径1.5mあります。今同じ工法で作るには手間と金が掛かり過ぎるんだとか…。


ミュージアムの目玉である1/10大和。元が260mちょいなので、この縮小率でもプールの長寸より長いことに。
奥に見える旭日旗は長門のものです。開運なんでも鑑定団にアメリカから出品されたものを石坂浩二が鑑定額約1000万でそのまま買い取り寄贈。ここにあれば保管状態を心配することはないですものね。
時期によってはこれを広げて展示していることもあるみたい。




大和模型の隣が戦闘機や砲弾などの展示エリア。順番が前後しますが、ミュージアム周辺のコーンも徹甲弾デザインだったりします。面白いな。




ミュージアムから港側は波止場および公園として整備。この木目が大和型戦艦の左前半分の大きさを、タイルが砲台・砲身のあった位置と大きさをそのまま再現。ちょっとわかりづらくなってるけど2枚目の真ん中は「ここが46cm3連装砲でしたよ」と示しているマークに過ぎず、写真左上のベンチ前付近まで46cm砲台のタイルは広がっています。砲身のタイルはその向こうのベンチの手前くらいまで。
甲板面積自体も相当なもんです。


ミュージアム脇の池は館長のご好意により自由にして良いそうで、リモコン艦船を浮かべて遊んでる人が時々いらっしゃいます。2泊3日の滞在で1度だけお会い出来ました。艦を動かしながら砲台もちゃんと動いたりしててすごい。
プラモでさえ艦船は作るの難しいっていうのにラジコンとかどれだけ大変なの…とは思うものの、見てる分にはとても楽しいです。


■海上自衛隊呉史料館(鉄のくじら館)




駅から徒歩5分にこんなの置いてる感覚がすごすぎる。実際に使われ2004年に除籍した潜水艦が陸に揚げられてこうなってます。
機密の問題もあって潜水艦の中で見学が出来る場所は限られている…とは言っても、潜水艦の中に大人が見学で入れること自体が貴重です。呉特有の光景をひとつ挙げろって言われたらこれになると思うなあ。




潜水艦に隣接する建物での展示風景と、潜水艦内にてそれぞれ1枚ずつ。瀬戸内海や日本海沿岸を埋め尽くす機雷がどれほど残され撤去しなければ戦後復興がままならなかったことか、その歴史などを学べます。潜水艦発展の歴史として、伊19など戦中の潜水艦模型も常設展示あり。見学時間は平均1時間って案内にあったけど、そんなの軽く超えてましたね…。
海自の服を着させてくれるコーナーなんかもあります。入場無料。


■両城の200階段






呉駅前から北西方面にしばらく歩いた住宅街にある急な階段。映画「海猿」でロケ地として使用されました。急な階段と緩い階段の2ルートが存在、階段脇には昔の防空壕も残ったままです。
史跡巡りのついででここに来る人はあまり多くないのでは…。案内もなくはないけど、近くまで行かないと全然ないので気付いて寄ってみようという向きにもあまりならないかも。ただ、この200といいつつ250段以上登った先では…


こんな感じに市街地や港を一望することが出来ます。夕暮れどきは空が広くて綺麗だし、こうやって眺めるために行くのは決して悪くありません。呉の市街地・夜景撮影スポットとしては休山や灰ヶ峰なんかもあるけど、どっちもなかなかしんどいのでお手軽に高い所へ行きたい向けに。

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写真多めでお送りしている探訪記も次回で最終回。残るは江田島方面です。
ではまた。

呉・江田島探訪記[前編]

9月 9th, 2015 No Comments »

昨年11月ですが呉・江田島に行って来ました。
今年は佐世保・長崎への旅行を予定しているので、その前にまとめ。
全3回予定でお送りします。実際の行動順とは異なることを予め了承下さいませ。

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■旧呉鎮守府




現海上自衛隊呉地方総監部第1庁舎、その表玄関と裏玄関。
屋根のドームは後に復元、レンガ建築自体は戦前からのもの。ただしこれは2代目で、初代庁舎は地震で喪失し現存していません。
表玄関側の立派な松の木は、本来もうちょっと背が高かったことが自衛隊パンフレットなどからもわかります。しかしながら連合軍占領時代に高すぎて邪魔だとかで少し切られてしまったようです。現在はそれを錨の形に見えるよう施されています。
海軍の建物なので、海側になる裏玄関も立派ですね。

見学は毎週日曜日の午前と午後。今年の4月から見学方法が変更になっているので要注意。従来は当日現地集合制、現在は人数に関係なく事前申請制です。


裏玄関前にある大階段。明治天皇をお迎えするにあたり立派な階段を造ったものの、その時実際にはここからは上がって来られなかったのだとか。でもまあそういう用途で造られただけあって、見晴らしはなかなかのもの。
階段下に広がるグラウンドはサマーフェスタなどごく一部の機会に限り一般開放されているらしく、降りないと見えない建築物などもあるのでいずれ狙いを定めて行きたいものです。


旧文庫測器庫、現呉警備隊本部庁舎。明治22年の呉鎮守府開庁時から唯一現存する、ここでは最も古い建物。


2代目庁舎の向かって右に建つのは旧艦船部庁舎。


旧通信隊庁舎。いくつかの建物の側面には元々何かが繋がっていた跡が見られます。本来は全体としてもっと長かった、ということでしょうね。


裏玄関すぐのところにある、太平洋戦争末期に造られた地下防空指揮所への入口。こうやって残されているだけで、現在は使われていません。


昨年の4月から始まった夜間庁舎ライトアップ。毎日、日没から22時まで実施。こんな時間にはもちろん敷地内には入れないけれど、近くの歩道橋からこんな感じで撮影出来ます。


■旧海軍工廠造船部・造機部


歴史の見える丘と呼ばれるここから見える歴史とは、旧海軍工廠を示しています。海の手前側に見えている部分が全てそう。左の大きい上屋が造船船渠、中央に第三船渠、右に第四船渠。クリックでパノラマ写真別窓拡大可。




戦艦大和の生まれ故郷、造船船渠は埋め立てられてしまって大和を隠すための上屋だけが現存。埋め立ての際、船渠の壁石を利用して造船船渠記念碑が建立されているのですが写真撮り忘れました。
上屋だけ見ても横を走る車と対比してどれだけ大きいことか…。スケール感が狂っていくこの感覚が、造船の地や港を訪れる醍醐味ではないでしょうかね。バスを使わず歩くことを強くおすすめ。




第四船渠は海上自衛隊が使用しているようです。1枚目の右上を拡大した2枚目の写真に写る3棟のレンガ建築は旧軍需部需品庫、現海上自衛隊呉補給所被服倉庫。当時も今も使われる目的が同じです。元々は4棟だったとのこと。


噫(ああ)戦艦大和塔。この他に旧海軍工廠礎石記念塔あり。


船渠から道なりに南西へ下って行きます。これは旧造船部庁舎。現ジャパンマリンユナイテッドの倉庫。


旧造機部庁舎。どうも今は使われていないっぽい。現存しているだけでもありがたいお話ではあります。


旧造船部機械工場群。


旧造船部錬鉄工場。横須賀なんかに比べて古い建物が数多く残っているのはそれだけでも感動ものです。佐世保はもっと残っているらしいので期待しています。
さて、錬鉄工場から先は次回にするとして、旧呉鎮守府から今度は北東方面を目指します。


■旧呉鎮守府司令長官官舎






入船山公園の一部となる現入船山記念館。これも鎮守府同様に地震で喪失して2代目とのこと。建築当初の姿に復元されたのは平成に入ってからのお話です。
写真は洋館部のみですが全体としては和館と洋館がくっついた造り。途中からガラッと内装が変わるのは当時の(お金がかかった)建物らしさがありますね。横須賀の旧横須賀鎮守府司令長官官舎(現田戸台分庁舎)も同じような感じです。戦後の洋風一辺倒にかぶれてしまった建築よりこういう方が、どっちも生きている感じがしてウチは好きだなあ。
横須賀と違ってこちらの司令長官庁舎は火曜の定休日を除いて毎日見学可。


この時計は元々旧造機部庁舎屋上にあったものを戦後移設、整備復元。今でも動いています。


入船山公園の一部となるこのグラウンドは旧錬兵場。特に何か遺っていたりはしませんがそういう場所でした。いやー、行った時は概ね天気に恵まれて本当良かったです。空気も気持ち良かった。


旧下士官兵集会所、現海上自衛隊呉集会所。11年ほど前までは宿泊・食堂を一般の方も利用出来たのだとか。マジかーもっと昔から興味持っておけば良かったーと一瞬思ったけど、駅前とかにホテルがワラワラある中でわざわざここを選ぶ理由を考えると…うーん。


下士官兵集会所に隣接するかたちで建てられている旧桜松館。日露戦争時代の吉野型防護巡洋艦「吉野」と「高砂」を記念した建物なので、吉野の桜と高砂の松で桜松。現在は呉音楽隊が使用していて、通りがかった時は丁度練習中でした。
位置的には下士官兵集会所と入船山記念館の間にあたります。


■呉海軍墓地








ここは必ず行くべきという場所。現在は長迫公園の一部となっています。
約125年の間に建立された合祀碑は91基、うち太平洋戦争に関するものが80。その他個人碑多数。知っている艦の名前がたくさんあります。その艦一隻一隻に幾多の人生があり、悲劇があり、助からぬまま沈み散っていった命がどれだけ今ここで慰められていることか。
ここでは合祀碑のそれぞれまでは紹介しません。静かに漂う冷たい沈黙と強烈な圧迫感は、行けばきっとわかるはず。

アクセス的には循環バスで呉駅前から10分ほど。循環ルートの真ん中を突っ切れば徒歩でもさほど遠くありません。駅から市役所行くのと市役所から長迫公園までが大雑把に大体同じ距離なので、帰りに商店街や屋台を見ていく段取りなんかが良いかと思います。

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戦後劇的に変化していく社会の中で、残っているものはそのまま使う。ただそれだけのことも難しいことです。例えば横須賀の鎮守府や船渠の多くは現在米軍基地内として使用されていて、こんな簡単に見ることは出来ません。当たり前のようで当たり前でない景色が、ここにはまだ数多く残されています。

次回は江田島を除く呉のその他のスポットについてです。
ではまた。