2018.08.14-08.19 小笠原の旅

8月 27th, 2018 No Comments »

竹芝客船ターミナルから996km南に下った先は、やっぱり東京都。
夏休みを利用して父島へ行って来ました。

父島に行こうと思った理由は、30年前に家族で行った思い出が忘れられなかったから。
あまりにも衝撃的な体験だったのです。28時間半(当時就航していた初代おがさわら丸の所要時間)という、それまでに経験したことがないほど長い船旅。東京湾の海って灰色だったんだなとわかってしまった、ボニンブルーと名付けられた青い海。着いた先の「ここは本当に日本なのか」という景色。強いというより痛い日差し。南斗六星を初めて見た夜。幽霊船のようで本当に怖かった境浦海岸の座礁船。

30年前の1988年は昭和最後の夏で小笠原諸島返還20周年。
今年2018年は平成最後の夏で返還50周年。この区切りのタイミングで、家族のうち船酔いしなかった自分と母2人の「いつかまた訪れよう」という約束を、今年こそは果たさねばならないとの想いもありました。

▼おがさわら丸(3代目)
https://www.ogasawarakaiun.co.jp/ship/


乗船してすぐの4デッキ。
船体は8層構造となり、総トン数にして初代比3倍。本当に大きくなりました。今回の父島行き乗船人数は691人でしたが、狭さは感じさせませんでしたね。







船内にはあちこちに掲示物やサイネージがあり、楽しませてくれます。
船の現在位置はこのほか4デッキ中央の航路図に埋め込まれたLEDで確認出来たり、特2等以上であればベッドにTVがあるのでそちらでも確認可能。途方もなく遠いように思えて、寝てる内に300kmくらいは進んでいるので案外そうでもありません。
写真に写っている “手摺にぶら下がっている袋” は、船内至るところで見受けられます。どこで船酔いしてもいいようになってるんだろう…多分。







7デッキ後方の展望ラウンジHaha-jima。
大きな窓で外を見ることが出来るほか、軽食提供営業時間外もフリーで開放されているので談話室として利用可能。船旅の大半は携帯の電波も入らないため、その間にここでノートPCを開き写真を現像している方がチラホラ見受けられました。デジタル撮影時代ならでは感がある。



4デッキ前方のレストランChichi-jima。広い。
展望ラウンジ同様、営業時間外もフリーで開放されているので談話室として利用可能です。そういえば展望ラウンジ・レストラン・売店ではSuica等の交通系電子マネーが使用可能になっています。大きく揺れることもある船内で小銭あれこれしなくて良いのは楽ですね。対応していない自販機以外で小銭出さなかったと思う。







廊下から船室へ。今回、船室は特2等(下から3番目の等級)を利用しました。
最下級の2等和室はいわゆるござ寝。そのひとつ上の2等は各人が使えるコンセントがある対面2段ベッドですが、ベッド備え付けカーテン以外でプライバシーを確保する仕切りがありません。
特2等になると廊下とベッドの間にカーテンが追加されるので、これのおかげで偶数人利用時のプライバシー確保が大幅に改善されます。旅行鞄の荷物整理をする時に、他の利用者を気にすることが殆どなくなって良いです。折角の片道丸1日の船旅なので、そのくらいは快適でありたいもの。
1人だけのプライバシーが確保される特2等もあるんですが数は少ないので、計画的に偶数人でこれを使うが一番無難と思われます。





悪天候でなければ、日の出30分前~22時まで6デッキ~8デッキの外部甲板が開放されています。そんなに長い時間開放してくれるのかというのに驚いた(初代の時どうだったっけな…)。うっかりしていてこの時点で、水による反射で思いの外日焼け開始。

おがさわら丸は島民のライフラインを支える貴重な存在でもあり、客と一緒に多くのコンテナも積まれます。だから本土で生産される食料品も新聞も船が入って来ることでスーパーに入荷されるし、台風とかで欠航になるとその間入荷も止まるので買い溜めが発生する(貨物専用の不定期船は一応あるけど)。
小笠原で「今父島にいまーす」とか手紙書いて郵便局に出しても自分と一緒に手紙が本土に渡ることになるのがオチですが、今は携帯の電波が島全域ではないにせよ飛んでいるので、多少はマシですかね。



おがさわら丸から見る日の入り。どこまで見渡しても水平線が広がるばかりで遮るものは何もない、船旅の醍醐味。
行きは天候に恵まれました。折しもペルセウス座流星群のピーク日&新月の直後で、日の入り後20時過ぎに再度屋上デッキに上がったところ流星を肉眼でいくつも見ることが出来ましたし、流星とは全く違う動きと光り方をする人工衛星が空を横切っていくのも肉眼で見ることが出来ました。天の川も船上から見えています。
船内施設以外にも自然が見せてくれるものがあるから、それほど退屈な船旅ではないのです。



見えてきた父島列島。そして何とも言えない良さのある雲の形。
地図でそこに島があるとはわかっていても、長い航海を続けた先にこれだけ大きい島が見えて来ることに感動を覚えます。体験は実際に行ってなんぼ。しかし昔の人はよくこんな絶海に孤島を見つけ、基点としたものだなあ…。


▼二見港
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/07ogasawara/island_resident/harbor.html#harbor1




おがさわら丸および、おがさわら丸とダイヤを合わせて運航される母島行き「ははじま丸」が接岸する二見港。これ以上大きい豪華客船(不定期運航)などは接岸出来ず、係船浮標を利用します。
防波堤には子どもたちが沢山いて、毎日次から次に海へ飛び込んでいます。絶好の遊び場なんだね。ただ、ここからちょっとでも沖に行こうものならサメがいるんだとか。
1枚目のすぐ後ろは大村海岸。この海岸、あんまり海水浴客は多くありません。ここまで来て潜る言うたらスキューバだし、そういう人たちは着いたらすぐに準備に取り掛かってるし、地元の子的には飛び込んでる方が楽しそう。今回は一切泳いでないけど、30年前来た時は存分に泳いだことを覚えています。

二見港に着いて真っ先にすることは、宿泊先のスタッフと合流すること。
おがさわら丸が父島にやって来る際には、港には宿名の札を持った人が多く待っています。で、荷物を預けるなり「このままツアーに出るので」と伝えるなりをする。諸島のほぼ全域が国立公園ということもあり、今日はどこに行くのかを伝えることが大切です。
30年前だと初代おがさわら丸が現地船内泊を行っていました。今のようになったのは多分2代目になってからだと思われます。当時は民宿もそんなに多くなく宿のスタッフが札持って立ってること自体がありませんでした。現在は基本的に往復と宿がセットで、宿の数もそこそこには増えたのでこうなっているようです。まあ、その方が現地にお金落ちるからなあ。



繁忙期のおがさわら丸は11時に父島へ着いた後、その日の15時半には東京へ折り返し出港します。今はもう現地船内泊をしないから、そういう運用が出来るわけですね。繁忙期以外は東京へすぐに戻らず3泊父島に停泊。そのため、おがさわら丸を見送ることが出来るのは繁忙期または2週間以上滞在するかです。今回初めて見送る側となりました。



二見港すぐ近くにある、ガジュマルに囲まれたハートロックカフェ。

ガジュマルは小笠原にとっては侵略的外来種となっています。明治期に導入後小屋や作業場・防風用として植栽され、戦中はトーチカや壕の偽装としても使われた「必要があって持ち込まれたもの」で、それでも従来は種がつかなかったので繁殖はしなかったそうなんですが、90年代に入ってからハチが侵入したことで至るところで生育するようになってしまったそう。これの何が問題かというと、ガジュマルは他の植物に巻きついては枯死させコンクリートをも突き破ってしまう「締め殺しの木」であるということ。
放置しておけない問題ではありながらメグロなど鳥たちの食物資源であることも事実で、一気に駆除すれば生態系がもっと狂ってしまう。このバランスを取ることが小笠原の環境保全の難しさであると、あとでビジターセンター行った時に聞きました。

外来種の侵入防止対策はおがさわら丸自体も行っています。客に靴の泥を落とさせることを徹底する他、おがさわら丸の夜間照明に寄って来る虫が外来種侵入の一因でもあるため照明対策したり、船体をこまめに検査したり。
人または人工物が往来する以上、リスクは常に付き纏うもの。それを人の手で防ぎ人の手で環境を復活させ、かつ観光として島を成り立たせるのは並大抵の努力ではないと考えさせられます。今でこそ小笠原は世界自然遺産ですが、何が評価されたってその生態系ですからね。保全は観光として訪れる側であっても守るべき当事者であり、知っておかねばいけないことがここには沢山あります。

▼境浦海岸








今回の宿泊先は境浦海岸近く。携帯の電波が入るほぼ南端でもあります。1枚目~2枚目が宿。

境浦海岸と言えば座礁船・濱江丸。元は民間の貨物船で、戦争の後期になって海軍が徴用。輸送船としてサイパンに行ったりしたものの父島への空襲の際に座礁・魚雷命中を食らって全損、以後そのままこの境浦海岸に残されています。一応、戦争遺跡としての観光スポットのひとつではありますね。
放置されているので年々朽ちています。30年前は船体の上半分がまだ水面に出ていて、夜に見たその姿が本当に怖かったのをとてもよく覚えています。今はもう随分と沈んでしまって、遠くない内に全てが沈みそう。とは言え、戦後70年以上経ってまだ船とわかるだけの形状を海上で留めているだけでも大したもんです。なお写真では泳いでいる子の姿が見受けられますが、思いっきり錆びているため「怪我して破傷風になっても知らんぞ」とは海上ツアーでお世話になった船長さんの談。

コンビニはなくても父島・母島などには診療所があります。島の診療で間に合わないレベルの緊急事態だと自衛隊の世話になるとのこと。トラブル対応の話を聞くたび「ここは本土から本当に遠い絶海の孤島なんだな」というのを強く思い知らされました。

▼夜の空




島でやりたいことのひとつに「星空を撮る」がありました。宿を港から離れたところにした理由でもあります。ということで着いた日の夜に三脚構えて撮ったのがこちら。
1枚目が宿から20m程度(道路渡っただけ)、2枚目が宿から200mくらい移動したところ。カメラはSony RX-100M3(この夏にM2から更新)で、f1.8・ISO2500の15秒です。それでここまでいけてしまう。なんていうかもう、星写り過ぎ。
一眼を所持したことがないので星空をカメラで撮影するのはほぼ初めてでしたが、その割にはまあまあだったのではないかな…環境が良すぎるせいか。

▼ドルフィンスイム&マッコウクジラウォッチング&南島
http://www.ogasawaramura.com/play/sea/makkou.html




キャンセル待ちが出ていたので参加してみた海上ツアー。当然事前に予約した方が良いです。人気だもの。
事業者やその日の都合で順番は変わるっぽいですが、この日はまず父島から南西に進み南島へ。南島は昔野ヤギが食い荒らしてしまったため緑が減ってしまい、かなり以前にヤギを駆除。15年近く前からは自然保護と回復のためここ特有の自主ルールが運用されるようになりました。これが非常に厳しい。

・何も持ち込んではならず、何も持ち帰ってはいけない。
・1年の内3ヶ月程度は上陸自体禁止。
・それ以外の時期も1日に上陸して良いのは100名まで。最大滞在時間は2時間まで。
・認証済腕章を着用した東京都自然ガイドの同行必須。
・ガイドの遵守状況が毎年審査され、毎年認証を更新しなければいけない。

など。繁忙期などで天候にも恵まれた場合、上陸可能人数が1日の上限に達してしまったためアウトということもありえるようです。大概の場合は事業者間でうまく調節をしているようですが。



奥に見えるのが南島・扇池。
上陸ポイントは2ヶ所。今回は残念ながらそのどちらからも上陸は出来ませんでした。小笠原近海に発生した台風19号の影響が既に出ていて波が高く、父島から南島に来るまでの狭い岩場を進むだけでも結構な荒波だったためです。父島からそんな離れていないのに3人ほど吐いてしまったくらいには揺れた。
この上陸出来る出来ないの判断はガイドや事業者によって異なります。同じ日に別業者の南島ツアーに参加して上陸出来た人が若干名いたことを確認していて、どうやら小さい船の方が上陸出来る可能性は高くなるみたいですね。ただ、船が小さいとその分更に揺れるので相応の覚悟が要るかも知れません。
上陸出来なかったとしても、この辺りは父島や兄島と異なるかなり独特な光景を目にすることが出来、海鳥が繁殖している姿も見られるので面白いし楽しいです。





父島・兄島周辺のイルカ出現スポット巡り。この日合計で40頭弱は見たんじゃないかな。
クジラの方は父島から1時間かけて20kmほど沖合に出て探すのですが、潜水が得意な種で1回呼吸したら1時間は呼吸しなくて良く、実際にその日海面に上がって来たところを見つけられるかどうかは行ってみないとわかりません。写真ではマッコウクジラが海面に出たところをギリギリで捉えています。冬から春はザトウクジラを見ることが出来るとのこと。
しかし本当に海がきれいで、海だけの写真とかすごい沢山撮ったりもしました。



父島と兄島の間で船を係留させての昼飯&シュノーケリングタイム。シュノーケリング3点セットは貸出が有り、申告すればライフジャケットも。実は潜らないという選択もあります。大体の人は潜りますけど、申し込んだ時に一応聞いてみたら「自由選択です」とのこと。

▼小笠原水産センター
http://www.ifarc.metro.tokyo.jp/25,107,40.html




二見港から歩いて5分ほどのところにある施設。
ここには小さな水族館があるほか、アカバ(島での呼び名。アカハタのこと)の歯磨きを自由に体験出来ます。備え付けの柄の長い歯ブラシで壁をトントンと叩くとやってきて、口を開くのでそっと歯ブラシを寄せる。どうやら歯磨き大好きみたいですね。子どもさんに体験させると大喜びしそう。

▼小笠原世界遺産センター
http://ogasawara-info.jp/sekaiisansenta/sekaiisansenta.html




昨年開館した真新しい施設。一般来場者向けの展示エリアの他、環境保全事業に関わることをここでやってたりしています。
展示エリアはそれほど大きくありませんが、小笠原の何が世界的に評価され生態系保全の取り組みがいかに大変で重要であるか、そして具体的にどう取り組んでいるかなどがわかりやすくまとめられています。大自然だと喜んでいる裏には、色々な課題や取り組みがあるのですね。また小笠原近海の情報として、火山噴火が記憶に新しい西之島の紹介もされています。模型があったりして大変わかりやすく、2013年以前の陸地は噴火で殆ど覆い尽くされて見えなくなってしまっているというのはここで初めて知りました。

二見港からメインストリート進んで村役場行く途中ということで遠くもないので、行ったら早々に見て欲しいくらいです。ここで知ったことが現地で参加したツアーの際に役立ったりしました。

▼小笠原ビジターセンター
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/07ogasawara/nature/visitercenter.html




小笠原の自然のほか、文化や歴史を知ることが出来る施設。本エントリの冒頭にある写真に写っているお魚さんのポスターは、ここの企画展告知でした。
結構情報量と見応えがあり、世界遺産センターと共に必ず見ておきたいところです。歩みということで歴代おがさわら丸の模型も展示されていたり、返還20周年当時の様子として1988年7月(まさに前回行った年月と同じ)の二見港の写真があったりして「そうそう、30年前こんなだった」と、記憶だけで母と話していたことが実際に正しかったかどうかの整合が図れました。
そういえばここだけに限りませんが「30年前に一度来た」と話すと、島に長くいらっしゃる方だと当時からの変化について結構話に乗っかってくれたりしましたね。各種センターでは掲示し切れない情報を教えてくれたり、大変勉強になりました。







歴史ということで戦争のことは避けられません。
ここでは父島での戦闘に関する米軍機・日本軍機の模型展示や、戦前に昭和天皇が小笠原に来ているということで山城の模型も。ここの模型で山城だけしょぼいので、もうちょっと立派なものの寄贈くらいあっても良さそうな気はするんだけど。
この辺、30年前だと興味が全然ない以前の問題でした。今ならまあそれなりには理解が出来ます。おお、二式水戦があるぞ。

▼丸丈
http://www.ogasawaramura.com/eat/marujou.html


小笠原の郷土料理が食べられるお店。30年前にも来ています。
台風やシロアリにやられたとかで30年前とは建物が結構変わっている小笠原の建物において、ここは驚くほど変わっていません。なので母と「絶対行く」と事前に決めていて、当時お店の前にウチが立って撮った写真を母は島まで持参してきた。店の主人がその写真と今のウチを見て「大きくなったねえ」って、それどういうリアクションすればいいの。身がとても厚い島寿司ほか、頂いたものめっちゃおいしかったです。

センターなどの施設で「30年前に来た」と話すと島そのものの話になるところを、それ以外のところで同じ話題を出すと住民目線としての変化を聞くことが出来ました。丸丈でもそういう話で盛り上がり、今回の小笠原旅行では地元の方たちと色々お話出来たことが、全体を通しての一番の収穫だったなという気がしますね。コミュニケーションに長けている超アクティブな母が同行していたおかげでもありますが。

▼大神山神社
http://tosho.tokyo-jinjacho.or.jp/ogasawara_chichijima.html




小笠原にも神社があります。
メインストリートからほど近いところに神社へと向かう階段があり、神社を経て更に山を上がって行くと展望台。港に近くて高いので、湾を一望することが出来ます。気象予報で「小笠原父島の様子です」と湾の景色が映されてたら多分ここからの映像。でかいカメラが設置してありました。
台風がだいぶ近くなって来ていて、天気がそんなによくなかったのが残念。

▼父島要塞戦跡ツアー
http://www.ogasawaramura.com/play/land/sensekitour.html


島でやりたいことのひとつとして事前に予約をしていました。小笠原諸島での戦闘というと硫黄島が有名ですが、父島でも地上戦こそ起きなかったものの激しい攻撃を受けています。
この首なし二宮金次郎像、元は小学校にあったものです。戦争で島民は本土へ疎開して小学校は閉鎖。空襲の銃撃で首がすっ飛んだというのは誤りで、戦後駐留米軍兵士が首を切り取って持ち帰ったそう。1997年の台風で台座から転落してしまい、補修されると共に同じ夜明山内での移設が行われました。

30年前もこの像は見ています。が、あまりにも怖くてなんかもうそれ以上何があるか見ようという気がしませんでした。座礁船でも怖がっていたけど、夜とか本当に真っ暗だし野生の動物が飛び出してくるかもとか考えた上に首がないとか幽霊船みたいだとか、そりゃ怖いですよ。後になって小笠原には本土ではありえないほど貴重なものが多く残っていると知って後悔し、それが母との約束であった小笠原来訪を推し進める個人的な理由でもありました。母は戦争の跡を見ることは嫌がるので、ここは1人で参加しています。





今も残るレール資材。戦後占領下であった際、帰島を許されていた欧米系住民が島で生きていくため、残骸を屑鉄として回収して生計を立てたりしていたのだそうです。それでも持ち出されていないものがこうして残っています。
今回の戦跡ツアーは、現地ガイドさんの中でもかなりベテランの方にお願いしました。今も終わっていない硫黄島の遺骨収集に参加したこともあるとのことで、島生まれではないものの小笠原在住歴はかなり長め。こちらが事前に勉強しているとわかると、色々とお話してくれました。





ダイナマイトで掘り構築されていった地下壕の数々。
なかには土砂で埋まってしまっていたものもあって、入口が見えるように掘り返したところもあります。ここにはその写真を載せていないけど、通信を傍受する地下壕などは重要な施設ということで扉が四重になっており、その跡もしっかりと残っているのを確認出来ました。
2枚目の写真はセメントの土嚢が片方にしか積まれていません。片方だけになっている理由は、その方向に特に守るべきもの(部隊長室)があったからだそう。











砲台跡として丸い設置箇所だけ残されているのは多く見てきたけど、砲や機銃が余りにもそのまま残っている光景は衝撃的で言葉が出なくなります。鉄屑としても持ち出されず、本土から1000kmも離れている僻地だから回収もされず、地下壕がかなり立派に出来ていることでこうして残っているのです。

1枚目は陸軍四一式山砲。元々ここにあったものではないんだけど(この山砲は分解・持ち運びが出来るものなので)敵から見えにくい位置に移したそう。
2~3枚目は海軍12cm高角砲。昔は重巡に搭載されていて戦中には旧式化してしまったけれど、生産がしやすいことから戦争後期では陸上砲として数多く生産。そのひとつがこうしてここに。鉄筋コンクリートで作られた壕も相当しっかり残っています。
4~5枚目は陸軍八八式7cm夜戦高射砲。ほぼ完全な形で原型を留めており、これの衝撃が半端ではなかったですね。地面に転がっているタイヤも当時のもので、NAIGAIのロゴが「これ本当にその時そのまま?」と思いそうになるくらいしっかりと残っています(写真では遠めかつ縮小しててちょっと厳しめ。一応見える)。条件が良ければタイヤってかなり残るのね。
内外ゴムは今でもある会社で、後年になって社長がここまで訪れて来たこともあるそうです。今回のガイドさんはその時の案内もしたとのこと。



さっきの12cm高角砲が元々あった場所。
移設後は円卓の作戦会議室として使用。











1枚目は発電所。
2~5枚目は海軍通信所跡で、爆撃を想定してかかなり重厚な作り。扉は鉄の部分だけで5cm。終戦直後に航空機からの爆弾が建物内で爆発しており、建物内部で鉄筋コンクリートが持ち上がっているのはそのためです。やはりここも当時ここで働いていた方々が後年訪れており、案内した際に色々お話を伺ったとガイドさんは仰っていました。そうやって得て来た情報が自分たち観光客へのツアーへも反映されているというわけです。

小笠原出港日の午前半日コースではあったものの、3時間とは思えないほど濃密なツアーでした。ツアー概要を見るとポイントは数ヶ所に見えて、増強された要塞はかなりの規模で至る所に見所があり、ガイドさんの説明が入ります。爆撃されてどういう向きに風上風下があってどういう風に被害が出たであるとか、どこまでが戦前でどこまでが戦後であるとか、当事者からの証言であるとか。規定の金額をお支払していますけど、なんかそれだけでは本当に申し訳ないくらいで。
要塞跡は今回巡った夜明山だけではありませんで、今回巡ることが出来なかった箇所もこの目で見たいな…。撃墜された米軍機・P51ムスタングも残骸がそのままあるようですよ。

▼二見港出港








迫る台風19号による波浪の影響で、出港が1時間早まった最終日。
小笠原の出港と言えばこれです。30年前にもほぼ同じようなものを見ています。小笠原は島に惚れ込んだ移住者が多いのですが、世代や人が代わってもこういうのは受け継がれているんだなと嬉しかったし、また会いましょうって言われたり書かれたりしていると「また来たいな」と思っちゃう。船で追いかけてたり港で手を振ってる以外にも、防波堤の子どもたちも、出港に合わせて海に飛び込んでいました。

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あっという間の5泊6日、現地3泊の旅でした。
30年前と変化していた部分、30年前は何も知らずに喜んでいたのが実は喜んでばかりはいられないことに気付いた部分に色々思ったりはしました。特に生態系ですね。
着いた当初は「楽しい!」というよりその色々思ってしまった部分が先立ってしまったんですが、それもツアーとかであちこちを巡るほどに「まだ見ることが出来ていないところが幾らでもある。もっと見たい」という気持ちが後から持ち上がって来て、今は「やっぱりまた行こう」と思っています。天気がもっと良ければ見られたものもあっただろうし、母島には今回も行けるだけの時間は割けていませんし。次は30年と言わず、もっと短いスパンで遠くない内に実行したいもんです。

船酔い体質であるかどうかが大きなハードルではありながら、もし興味があるなら是非一度行っておくべき所ではあります。行ったら1週間帰ってこれませんけど、それは逆に言えば1週間遊んでていいってことです。
日本軍がかつて作り使用していた場所に飛行場を改めて建設する計画については、ウチ個人としては飛行場が出来たら環境は維持出来なくなると思っていますし(観光客としての見方的には)24時間という船旅含めて小笠原の魅力だと思っています。今の御時世で、丸1日携帯の電波が入らない経験なんて相当減ってると思いますよ。
是非船で。それだけの価値があそこにはあります。


竹芝客船ターミナルから996km南に下った先は、やっぱり東京都。
でもそこには色々な発見があり自分を見つめ直すことができる、本土で過ごすのとは全く違う非日常的な日常が待っているのです。

2016年夏コミ 寄稿のお知らせ

8月 1st, 2016 No Comments »

コミケの時期がやって参りました。
今夏の寄稿は2サークル様計3本となりましたので、その報告と紹介です。
どちらもテキスト主体の本となっています。

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■魔界戦線『ビューティフルワールド』
→広がる新しいステージへ ~『プリパラ』二〇一五年シリーズの軌跡
http://ilya0320.blog14.fc2.com/blog-entry-2268.html
(委託:8/13東ツ-32a、8/14東W-03a)

アニメ・ゲーム・映画・その他関連動向までを網羅するプリパラ総括本、昨年の『パーフェクトスマイル』に続き寄稿させていただきました。今年はアーケードゲーム1年分のまとめ担当です。

プリリズからの筐体一新でロケットスタートを切ったプリパラも、1年目は実装量や各種商品展開要素の都合から、盛り上げようとするとある程度スコアを念頭に置かざるを得なかった事情がありました。そのため去年はスコアシステムの相関関係に着目して述べていたわけですが、2年目ともなると要素の充実に伴い盛り上げる傾向や幅は次第に変わり始めます。具体的には2年目の夏にはもう兆候が見えていましたね。
何年も使われ続けることから、見た目からの新鮮味は失われる宿命にある大型筐体。そこに対しプリパラはどのような回答を見せ、どこを目指しているのか。2年目の傾向からこれからについても迫ります。


■鎧屋『旅立ちの日を見送ったあとで ~ありがとうラブライブ!~』
→覚悟と勇気が導く未来への跳躍 – μ’s 3rd Anniversary LoveLive!
→振付の変化に見るμ’sの挑戦と変遷の軌跡
http://loveliveafter.tumblr.com
(直参:8/13東パ-34b/委託:8/12東エ-45b、8/14東ク-17b)

東京ドームライブを遂に実現させ、活動に一区切りをつけたμ’s。
6年間の歩みを振り返る、全ワンマンライブ感想やプロジェクト全体を跨ぐ様々な視点からの考察など、多面的に構成されたファンブックとなっています。特設サイトがありますので、詳しい案内はそちらを参照下さい。
こちらでは2本の寄稿に加え、その後の工程も幾らかお手伝いさせて頂きました。

昔を知る人はこんなことがあったと懐かしみ、知らなくても当時はこんな空気だったんだと知り、手に取る全ての方の心に今一度μ’sが刻み込まれるかたちになれば幸いです。

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指名での依頼というのは大変ありがたい話ですね。また今回は寄稿しただけでなくその先も少しは携われたので、とても良い経験となりました。
ぜひ、どちらともよろしくお願いします。

秋葉原に船で出て来てみた

9月 22nd, 2015 No Comments »

■羽田~秋葉原間の舟運の実現を目指した社会実験を実施します(国土交通省報道発表資料)
http://www.mlit.go.jp/report/press/sogo03_hh_000091.html

社会実験に参加して来ました。
各メディアで取り上げられ知ってる方も多いと思われるこの実験。報道資料にある通り、これは観光としての新しい可能性を探るもの。羽田から秋葉原なんて電車でも40分あれば着いてしまいます。それを2時間半かけてゆっくり水上からどうですかというこのシルバーウィーク限定の試みは、休日分の申込が早々に閉じてしまうほどの人気ぶり。急遽増便が決定したほどでありました。
以下、写真かなり多めでお送りします。

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羽田空港国際線ターミナル。この写真は3階。集合場所は2階のバス乗り場前ロビーです。
まずは空港から多摩川河川敷へ。




こんなところに船着場あったんですねえ…。初めて見たよ。位置的には、天空橋駅で一旦地下にくぐる東京モノレールが地上にもう一度顔を出すところです。そのタイミングで空港向かって右側を見ていれば、多分見えると思います。
乗船した便は船長さんが女性でした。パンツルックで格好良かったなー。


ちょっと風景が寂しい。国交省主導ということもあって、運航会社さんは自前で羽田近くに持っている船着場を今回は使っていません。実際に民間が定期便を通すようになったらここではなくなる可能性はありますが、実験である内はまたここを使う可能性は高そう。
もし次回実験があったとして参加するつもりの方は、羽田発を選んだ方が楽しいかと思います。ここに着いても一般の人ほとんど見届けたりしてないし。


天空橋。移設しようとすると祟りが起きると曰くつきの赤鳥居。15年くらい前にようやく今の位置になったんでしたっけね。この辺り、すぐ近くが民家ということもあってマイクでのガイドを一時的にやめ肉声でのガイドになっています。そういう箇所が何箇所か有り。
釣りしてる人がいっぱいいる場所だけれど、魚逃げないのかなあ…。


ズンズンと橋の下をくぐっていきます。ちなみに秋葉原到着までにくぐった橋・道路・水門はおよそ40ほど。


整備場駅。普段こんなところで降りません。新型モノレールがちょうど入って来たところ。


整備場駅過ぎてすぐのところにある羽田可動橋。これはその羽田側で左にもうひとつあります。その2つが橋そのものが旋回することで道路が繋がる日本ではかなり珍しい構造…なのだけど、90年の開通後8年ほどで使用停止。ただ今後の羽田拡張に備えて撤去はしていないそう。再び陽の目を見る日は来るのだろうか。




昭和島の向かいにある東京消防庁第二方面訓練場と、そこから少し進んだところにある大田市場。大田市場の取扱いは青果物と水産物、それと花。ここから大田市場を挟んだ向こうが首都高湾岸線になります。


多摩川から天空橋に入って以降、神田川へ入るまではほぼ北上が続きます。ここは大井ふ頭中央海浜公園、みなさん連休にBBQ堪能しまくりですな。場所を問わず、船から手を振ると川岸や橋の上から手を振り返してくれる方は結構多かったんですが、一番リアクション良かったのはここでした。子供とか羨ましそうな顔してたし。わかる。わかるぞー。
あ、そうそう。今回の運航はベビーカー対応可能でした。座席にまで持って行けないけど、置いておける場所はあるようです。




品川区八潮団地。最寄り駅は大井競馬場前駅。東京ドーム8~9個分くらいの広さに住居棟が72棟ある、それなりに広域な一角です。


!? どうやら船上カフェらしい…。








京浜運河を北上し、天王洲アイル駅の手前で一旦左折。水門を抜けた先に船着場があって乗降する方がいらっしゃいます。多くは秋葉原まで行くんだけど、ちょっとそれは長いなーという向けですね。
今日、この品川の船着場には運行会社さん所有の別の船が停まっていて、船上結婚式の準備をしているところでした。ここからレインボーブリッジに出て2回くぐってお台場抜けてからの東京ゲートブリッジくぐって帰って来る2時間半コースらしい。色々なプランがあるんですな。
ちなみに水門に書かれているのは「しながわ」。水門の向こうに見える円柱ビルは汐留の電通ビルですね。






天王洲アイル。ここの一部も昔の「台場」。優雅な午後を満喫されてる方多数。


レインボーブリッジ。空に橋の白が映えますね。天気が良くて本当に良かったです。


隅田川側から見る築地市場。この辺りになると遊覧船が増えて来ます。隅田川の遊覧はいくらでもあるし、特段珍しい光景でも体験でもないので、この辺は飛ばし気味で。


月島。年に6~7回くらいはもんじゃ食いに行くのがもう何年続いてるだろう。もんじゃいいよねもんじゃ。


そのすぐお隣佃島の、この写真は佃公園のところ。


清澄橋とその向こうに建つ東京スカイツリー。


江東区の芭蕉記念館と史跡展望庭園。ここに行くなら最寄は半蔵門線の清澄白河駅ですが、こっちからってこういう景色なのね。


松本零士デザインの遊覧船ヒミコの後継、ホタルナと船上でスレ違い来たー!




北上して来た隅田川から左折して神田川へと入ります。神田川のクルーズ自体は元々あります。もちろん万世橋を船着場としては使っていませんが…。いっぺんでいいから花見の季節で神田川クルーズしたい。で、毎年大体忘れる。
写真は浅草橋の隣の橋、柳橋にある小松屋さん。佃煮で有名ですね。


小松屋の旦那が乗ってきて10分ほど歴史をお話してくれたり、歌を披露してくれたり、佃煮船上販売してくれたり。船上販売なんかやられたら勢いで行ってしまうのか、買われた方は結構多かったように感じました。これが商売ってやつだ。


秋葉原までもうすぐ。この辺、すごくダメだと思うのだけど、建物がみんな川に背を向けてるんですよね…。昼ということもあって屋形船はまだ出て行ってません。


秋葉原が見えてきたー。書泉だー! いつもそこのみずほのATMで金下ろしてますお世話になってます。


万世橋が見えて来た。とても見慣れた光景。
万世橋を発着する船の珍しさに、場所も相まって橋の上から見届ける方が大勢。






万世橋発着場。
ここがこのような構造になっているのは、かつて地下鉄を建設する際に資材を神田川を通じて運んでいたのでその名残。ここには国鉄万世橋駅だけでなく、地下鉄万世橋駅もかなーり僅かな期間ながら存在していたということなんですね。なんと85年も前のお話です。
今回はクルーズ利用客に対してのみ、橋の下も扉を開けて公開されていました。普段はこうやって中に入ることも出来ません。


万世橋の脇に臨時乗船場としてこんな感じにテントが。「社会実験」と思いっきり書かれているので、通りがかった人はそりゃあ気になりますよね。羽田にはこんな書かれ方されてませんでしたけど。




船着場の構造上、横付け出来ないのでこのような形で停めることに。乗降の安定性は特に問題ありませんでした。ただ、こうやって停めてる時に他のクルーズ来たらどうするんだろうというのはあって、そこは運航会社間の調整になるのかな。

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こうして休憩込みで2時間半のクルーズは終わったのでした。あっという間でした。見慣れてる隅田川はともかく、京浜運河と万世橋付近の景色は期待通りに楽しめたと感じています。
こういう古い古い遺構の再活用は非常に良いこと。万世橋マーチエキュートもそうですが、丁寧に使っていけば使わないまま放ったらかしにしているよりよっぽどマシでしょう。定期運行実現まで漕ぎ着けてくれたらと思っています。

大雑把な解説だけどこんな感じで。googleマップで経路を確認しながら写真で雰囲気だけでも伝われば幸いです。
もし定期便実現前に実験がまたあったのなら、ぜひ応募してみて下さい。

呉・江田島探訪記[後編]

9月 22nd, 2015 No Comments »

探訪記も今回で最終回、江田島編です。
呉から江田島へはフェリーで20分、高速船で10分。合計で1日26便。この日は呉から朝7時半ちょい前で出発しました。

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■旧潜水学校


現海上保安大学。写真右には現存するレンガ倉庫が。大学へはオープンスクールなどでない限り入れませんが、海上保安資料館ならば土日祝以外であれば無料で入ることが可能です。今回は思いっきり土日祝に当てて行ってしまったので残念。


■大麗女島旧地下特潜工場


海上保安大学から300mほど沖にあるこの島では、元々燃料の備蓄なんかをしていたところ戦争末期になり甲標的丁型・蛟龍を製造する工場が出来たとのこと。戦中のトンネルの跡なんかも船と島の角度次第ではある程度確認が可能です。
実際には、この島で製造された蛟龍はそんな多くなかったみたいですけどね…。現在は海上自衛隊が弾薬庫として使用。海上保安大学の学生も遠泳でこの島の辺り泳ぐとか何とか聞きました。


■軍艦榛名・出雲戦歿者留魂碑


ここからが江田島到着後。
海自最大の艦艇、いずも型護衛艦1番艦・いずもの先代が出雲型装甲巡洋艦・出雲でした。日露戦争にも参加している古い艦で、太平洋戦争終戦当時は練習艦。それと戦艦榛名の2隻は江田島のフェリー発着所から近いところで着底したため、こうして合同碑が建てられています。
いざ行ってみるとわかりやすそうでわかりづらい場所にあり、江田島中学校と江田島公園の西側を通る坂になっている道路を登っていくと、突然左手側に出現。「江田島公園裏手」という言葉を信じて江田島公園に入ってから向かおうとすると結構大変な目にあうので要注意。


■旧海軍兵学校






古鷹山の麓にある、現海上自衛隊第一術科学校。この建物は学校庁舎で旧生徒館。
海軍兵学校は明治21年までは東京・築地にあったので、築地の国立がん研究センターに行くと移転前の碑があったりします。術科ってのは、要は各種スキルのことですね。
呉基地や総監部と違い、ここは現在も予約なしで見学が出来るようです。平日・土日ともに可。レンガは昔のままではないけど、かと言ってレンガ風タイルでもなく、ちゃんと焼いたものを使用しているとのこと。


正門近くには護衛艦「ひえい」の錨。






大講堂の表と屋内。今も昔も入校式や卒業式として使われている、伝統の生きる場所。この屋内が実に見事で、入った時見学者の皆さん声を上げてましたね。外観の通り、天井が高いです。


かつて戦艦陸奥の4番主砲として使用されていた本物。沈んだものを引き揚げたんじゃなくて、昭和9~11年の大改装時に外されたものが海軍兵学校生徒の教材として移設されたもの。こんなのが艦の上に乗っていて、動かしていたわけですね…。なんと現在に至るまで現役です。塗装はちょいちょいやり直してるっぽい。
隣に見えるのは駆逐艦梨に搭載されていた12.7cm単装高角砲。梨は戦後10年くらい海中に放置されていたものがスクラップ予定として引き揚げられたのが、そこそこ状態が良かったので海上自衛隊の護衛艦わかばとして再就役した、変わった艦歴を持った艦であります。この高角砲は引き揚げ時に外されたもの。
このほか術科学校には数々の展示物がありますが、海沿いなんかは通常の見学ツアールートには含まれていないため、それらを近くで見たければ要相談なのかも。




教育参考館と、その近くにある駆逐艦雪風の錨。
幸運艦として太平洋戦争を生き延びた雪風はその後中華民国に引き渡され、こうして今は錨が返還されここに置かれています。呉行って江田島行ったら必ず見ておくべきもの。
教育参考館は、館内一切の撮影禁止。撮影禁止であることが頷けるほど重要な物が多数展示。見学ツアーも教育参考館見学用に結構な時間を割いています。


学校から本当にすぐそこにある古鷹山の登山入口。ちょうど江田島行く前日に艦これで古鷹改二の実装が予告され「これは登山するしか?」と思ったものの、登山しやすい格好ではなかったし急に割ける時間もなかったので断念。標高は400mくらいなんですけどね。
術科学校の近くには江田島旧海軍兵学校下士卒集会所も(今回は写真撮り忘れ)。通常は原則非公開ではあるものの、一般の人を募って月イチで掃除したりがあるそうなので、タイミング次第では敷地内を見ることは難しくないかも知れません。


■軍艦利根資料館






術科学校の対岸が重巡利根の着底した場所でした。特に目印は残されていないけど着底地点が見える場所に建てられており、さっき術科学校で見た陸奥の主砲は丁度この資料館の方向を向いてます。対岸から肉眼で見えるのよね、主砲。それだけ砲台がデカいってことです。
資料館では乗組員の遺品や艦に載せられていた備品などが展示されていて、利根に関するものはここに集めますといった感じで浴槽なんかも有り。建物の大きさの割にはかなりの数があります。
資料館の鍵は隣の能美海上ロッジの受付が管理してますので、まずは一声かけてから資料館に入るのが良いでしょう。バスの便がそんなには良くないので、江田島内の移動はタクシー直接捕まえた方が時間のロスはなくなるかな。


資料館裏手にある利根の慰霊碑。


■軍艦大淀戦没者霊碑


帝国海軍最後の連合艦隊旗艦・軽巡大淀も江田島で着底。、術科学校から利根資料館へ向かうその途中にその碑はあります。道路脇にはこんな目印が。この先途中に牡蠣の加工場があるけど気にしないで通り抜ける。






雨風避けがなされているとは言え、屋外に軍艦の模型を置いている慰霊碑ってあんまり多くはないんじゃないでしょうか。手入れに関しても大淀に関してはかなり手が行き届いているように感じますね。碑の建立自体は50年近く前のはず。記念館も公園もなくちょっと寂しい感じはあるけれど、置かれている花も新しかったことから決して忘れられていないことがよくわかります。

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こうして、2泊3日の呉・江田島旅行は終わりました。3日間での歩行距離は30km。
印象深かったのは地元の人たちの意志でしょうか。建物にしても昔のまま使えるものは今も使うことは簡単ではなく、そこに意志があって初めて成り立つものであります。呉は米軍の敷地がそれほど多くを占めていないため、より多くのものが残せたというのもあるかも知れません。
またボランティアの観光ガイドさんをよく見かけるのもポイントです。流石に史跡全てを網羅してはいないけど、案内板はあってもガイドなんか居ないと思って行ったので驚きました。海軍墓地にも1人居たし。

そういった地元の歴史資産と共生する意志を肌で感じることが出来たのが何より嬉しく、楽しい旅行でした。初めて行ったにしては巡ったポイント数自体は多かったと思いますが、しかしそれでも時間の都合行けなかった箇所や行ったのに写真撮り損ねた箇所は多数あります。
機会を改めて、また行きます。今年は佐世保だけど一通り落ち着いたら、必ず。

呉・江田島探訪記[中編]

9月 16th, 2015 No Comments »

前回に引き続き中編をお届け。
そういえば前回書き忘れた呉へのアクセスについて。空港からはリムジンバスが出ています。空港が山の上とか僻地すぎるせいで脱出するには車に頼るしかないわけですが、空港→広島行きと空港→呉行きが同じ発着所なのでそこだけは要注意。予約の必要はありません。

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さて、今回は旧海軍工廠造船部・造機部から南西方面よりスタートです。
旧造船部錬鉄工場の撮影箇所から見る方向を変えると、ほぼこの景色になります。道路のすぐ向こうは護衛艦がいっぱい。海自基地で最大の係留能力を誇るのが呉だそうですが、この圧倒的近距離ぶりは横須賀じゃちょっとありえない。近い、というだけでワクワクします。


■旧串山防空監視所




さっきの護衛艦を撮った場所から海の見える道沿いには向かわず、一本陸側の道に入ると串山。桜の名所でもあり、護衛艦撮影スポットとしても有名であります。写真は両方とも防空監視哨。2枚目の方が現在はコンクリートで塞がれた入口。
時間が足らず撮りに行けなかったものの、ここには他に呉海軍工廠職工教習所/工員養成所跡地記念碑・海軍技手養成所跡碑なんかがあります。というか元々が工員を養成するための場所で、防空監視哨なんかは太平洋戦争末期になり作られたもの。つまり、本来の役目であったところの碑を撮り損ねてしまったわけです。


串山麓にある工廠神社石碑。串山は現地ボランティアガイドもおらず、あると知った上で入念に調べないと色々見落とす場所であり、しかも山自体がそこそこでかいと来た。次回は重点的に見たい場所のひとつですね。


■アレイからすこじま




串山から海の方へ出ると、アレイからすこじま。これが公園名。
こんな近距離で見えていいのってくらい肉眼で普通に潜水艦や護衛艦が見られます。潜水艦が見られる公園は横須賀のヴェルニー公園かここかどっちかくらい。見られる近さではこっちの方が上です。
なお潜水艦についてはこのあと更に驚くことになります。


潜水艦桟橋。写真とは逆方向になりますが、ここから道路を挟んだ向かい側に旧水雷倉庫があり、そこからの引込線の跡が今も見えています。


4トン起重機。潜水艦に魚雷を積むために使い、戦後もしばらくは動いていたとのこと。今はただのモニュメントです。中に入ることは出来ます。


■旧呉海軍工廠電気部関係倉庫群




海軍工廠の前身である海軍造兵廠時代に建てられた古い建物。1枚目が10号倉庫(旧水雷倉庫)・9号倉庫(戦後建築)・8号倉庫(旧弾丸庫)。2枚目が6号倉庫(旧予備艦隊兵器庫・預兵器庫)。


旧電気部工場。上の2枚含め、現在は民間企業が使用しています。


アレイからすこじまから更に南西へ向かったところにある旧砲熕部精密兵器工場。公園のところにある倉庫は有名だけど、カーブを2回過ぎた先にあって公園から見えない場所なので見てない人が多いかも。


■海上自衛隊呉基地


第1庁舎と同様、毎週日曜日に一般公開。こちらも今年4月からは事前予約制に変更。去年行った時は1回で普通に300人くらい居たし、安全面で問題ないとは言えない状況でしたからね。FAXのみでの受付だそうです。電話の窓口はありません。
いやーしかし海が良い青だ。


見学開始待ちの場所から。潜水艦超近いですよ! 道の向こうとこっちじゃないか!










ザーッと撮ってきた一部。この日の公開艦艇は訓練支援艦てんりゅうでした。バースの手前側に係留されている艦の公開だったため奥には行けないし、あちこち写真撮るにも限られた角度ではありましたが、バラエティに富んだ艦が数多く係留された、ゴチャゴチャッとした光景はたまんないものがありますねえ…。これが毎週公開だもんなあ。いいなあ。
さて、駅前に戻ります。


■呉駅周辺


駅周辺から紹介しなかったのは、駅周辺は誰でも見るから。見て欲しいのは駅から離れたところだから。この巨大なスクリューは北口に設置。ここからは市役所のある北東方面へ。




駅から市役所の方へ向かうと川の近くに蔵本通りという通りがあって、そこでは毎年12月から1月上旬にかけ「イルミネーションロードくれ」が開催されています。ウチが行ったのは11月最終週だったので点灯はしていませんでしたが、準備は進んでいた感じ。
1枚目は紫電改の実物大、2枚目は1/20サイズ赤城。他には1/20大和も。もちろんいずれも呉がゆかりの地。紫電改はひとつ山を超えた向こうの広で製造されており、時間の都合今回は断念しましたが割とすぐそこなので次回は広にも足を伸ばしたいものですね。


イルミネーションのあった蔵本通りから港の方へ戻る途中での1枚。今は滅多に使われることがないだろうと思われる、古びた線路を残した橋。橋の向こうは海上自衛隊呉教育隊。方角的にこの写真での教育隊の向こう側が、前エントリで紹介している入船山公園となります。


■大和ミュージアム








ようやく大和ミュージアム。まずは外観入口側から。
知識に疎いと「なんで大和ミュージアムなのに、ここにあるのは別の艦(陸奥)なの?」と思われることもあるようです。理由はいくつかあって、陸奥自体の建造は横須賀だけど主要部材は呉海軍工廠で製造されたものであったこと、陸奥が爆発事故で沈没した場所はここから江田島の向こうにある柱島だったことなどが挙げられます。
ちなみにこことは別に「陸奥記念館」というのもあります。ただ、江田島から柱島を見たその反対側になる山口県屋代島にあって、松山空港からフェリー乗った方が行きやすかったりとアクセスかなり悪め。行ってはみたいんですけどね…。


大正初期生まれの金剛に搭載されていたボイラー、近代化改装の際に取り外された後はなんと平成5年まで現役だったとのこと。暖房用として使ってたそうで、展示にあたって焚き口は復元されましたが80年動いていたとは…。日本初の超弩級戦艦の時代から終戦を経て昭和天皇が崩御し、windows95が数年後には出ようという時代までを見届けた、まさに生きた歴史そのもの。


大和型探照灯の予備。でけー! そしてこの曲面が綺麗すぎる。
厚さ1cmのガラス曲面に銀メッキされていて、直径1.5mあります。今同じ工法で作るには手間と金が掛かり過ぎるんだとか…。


ミュージアムの目玉である1/10大和。元が260mちょいなので、この縮小率でもプールの長寸より長いことに。
奥に見える旭日旗は長門のものです。開運なんでも鑑定団にアメリカから出品されたものを石坂浩二が鑑定額約1000万でそのまま買い取り寄贈。ここにあれば保管状態を心配することはないですものね。
時期によってはこれを広げて展示していることもあるみたい。




大和模型の隣が戦闘機や砲弾などの展示エリア。順番が前後しますが、ミュージアム周辺のコーンも徹甲弾デザインだったりします。面白いな。




ミュージアムから港側は波止場および公園として整備。この木目が大和型戦艦の左前半分の大きさを、タイルが砲台・砲身のあった位置と大きさをそのまま再現。ちょっとわかりづらくなってるけど2枚目の真ん中は「ここが46cm3連装砲でしたよ」と示しているマークに過ぎず、写真左上のベンチ前付近まで46cm砲台のタイルは広がっています。砲身のタイルはその向こうのベンチの手前くらいまで。
甲板面積自体も相当なもんです。


ミュージアム脇の池は館長のご好意により自由にして良いそうで、リモコン艦船を浮かべて遊んでる人が時々いらっしゃいます。2泊3日の滞在で1度だけお会い出来ました。艦を動かしながら砲台もちゃんと動いたりしててすごい。
プラモでさえ艦船は作るの難しいっていうのにラジコンとかどれだけ大変なの…とは思うものの、見てる分にはとても楽しいです。


■海上自衛隊呉史料館(鉄のくじら館)




駅から徒歩5分にこんなの置いてる感覚がすごすぎる。実際に使われ2004年に除籍した潜水艦が陸に揚げられてこうなってます。
機密の問題もあって潜水艦の中で見学が出来る場所は限られている…とは言っても、潜水艦の中に大人が見学で入れること自体が貴重です。呉特有の光景をひとつ挙げろって言われたらこれになると思うなあ。




潜水艦に隣接する建物での展示風景と、潜水艦内にてそれぞれ1枚ずつ。瀬戸内海や日本海沿岸を埋め尽くす機雷がどれほど残され撤去しなければ戦後復興がままならなかったことか、その歴史などを学べます。潜水艦発展の歴史として、伊19など戦中の潜水艦模型も常設展示あり。見学時間は平均1時間って案内にあったけど、そんなの軽く超えてましたね…。
海自の服を着させてくれるコーナーなんかもあります。入場無料。


■両城の200階段






呉駅前から北西方面にしばらく歩いた住宅街にある急な階段。映画「海猿」でロケ地として使用されました。急な階段と緩い階段の2ルートが存在、階段脇には昔の防空壕も残ったままです。
史跡巡りのついででここに来る人はあまり多くないのでは…。案内もなくはないけど、近くまで行かないと全然ないので気付いて寄ってみようという向きにもあまりならないかも。ただ、この200といいつつ250段以上登った先では…


こんな感じに市街地や港を一望することが出来ます。夕暮れどきは空が広くて綺麗だし、こうやって眺めるために行くのは決して悪くありません。呉の市街地・夜景撮影スポットとしては休山や灰ヶ峰なんかもあるけど、どっちもなかなかしんどいのでお手軽に高い所へ行きたい向けに。

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写真多めでお送りしている探訪記も次回で最終回。残るは江田島方面です。
ではまた。